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2009年1月8日のブックマーク (2件)

  • asahi.com(朝日新聞社):〈連載―世界変動〉欧州 国家の意味揺らぐ - ビジネス

    〈連載―世界変動〉欧州 国家の意味揺らぐ(1/3ページ)2009年1月8日8時1分印刷ソーシャルブックマーク 政府の退陣を求めるアイスランドの市民ら=昨年12月6日、レイキャビクの国会前広場、大野写す金融危機で揺らぐ欧州諸国と地域 もう一人では生きていけないかもしれない――。そんな気分が欧州で広がる。グローバル化した金融危機に暴露された国家の限界。しかし「独立」や「主権」を振りかざし、ナショナリズムの力を借りる政治は、新しい時代に適応できるのだろうか。 アイスランドの首都レイキャビクの国会前広場。昨年10月から毎週、政権の退陣を求める市民集会が繰り返されている。凍(い)てつくような年末年始にも途切れることなく、防寒具姿の数千人が政府批判のスローガンを訴え続けた。 大みそかには、閣僚が出演するテレビ番組の会場予定だった近くのホテルに、集会参加者が乱入を試み、警官隊と衝突する騒ぎにもなった。

    iteau
    iteau 2009/01/08
    アイルランド、アイスランドのご都合主義ぶり。
  • アロイジエ・ステピナツ - Wikipedia

    福者アロイジエ・ヴィクトル・ステピナツ (Alojzije Viktor Stepinac、1898年5月8日 - 1960年2月10日)は、クロアチアのカトリック教会高位聖職者。1937年から1960年まで、首都ザグレブのザグレブ大司教を務めた。1946年、ユーゴスラビア内外で世論を二分した評決において、ベオグラードの最高法廷はステピナツをウスタシャ政権へ協力した罪、そして正教会信徒のセルビア人をカトリックに強制改宗させるのを許可したことへの共謀罪で有罪とした。彼は16年の懲役を宣告されたが、5年後に釈放され、故郷クラシッチへ軟禁された。 1952年、ローマ教皇ピウス12世は彼を枢機卿に任命した。ステピナツは多血症患者であり、1960年、その病からくる血栓症で死亡した。61歳没。1998年、教皇ヨハネ・パウロ2世はステピナツを殉教者と宣言して列福し、再び世論を二分することとなった。 幼年

    アロイジエ・ステピナツ - Wikipedia