飯田 亮(創業者)は、昭和31年に学習院大学を卒業後、家業である東京・日本橋の酒問屋・岡永商店(現・岡永)に勤め営業を担当していました。飯田は男ばかりの兄弟5人の5男坊で、上の兄が岡永に勤めていたため独立を考え始めていました。当時、学生時代の友人であった戸田壽一(創業者、前・最高顧問)とは時々飲み、将来の独立を語り合う仲だったのです。 昭和36年の冬、浅草の鳥鍋屋で飯田が戸田と欧州帰りの別の知人と3人で食事した時のことでした。その席で知人が「欧州には警備を業務とする会社がある」と教えてくれました。 飯田と戸田はまだ日本にないビジネスであることから「これだ!」と独立を決断。わが国初の警備保障会社を興すことにしたのです。決断には30分とかからなかったそうです。