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ジェンダーに関するitigo-daihukuのブックマーク (2)

  • ブルマの興亡史 - 本しゃぶり

    古代ローマ史には「人類の経験のすべてがつまっている」と言われる。 ではブルマの歴史には何がつまっているだろうか? ブルマを覗くと慣習との戦い方が見えてくる。 束縛するファッション ここしばらく「#KuToo」の記事をよく見た。 スーツも革も嫌いな俺としては、この風潮を歓迎する。ハイヒールやパンプスのような非合理的なファッションは、労働の現場から消え去ったほうがいい。そもそも会社の指定したにより足腰を痛めたならば、それは労災である。労災のリスクが高い服装を強制するのはどう考えてもおかしい。 しかしながら、この時代にまだハイヒールやパンプスを強制してくる会社の意識を変えるのは難しい。合理的な思考をする会社ならば、すでにを自由化しているか、逆にかかとの高いを禁止しているはずだからだ*1。今も頑なにハイヒールを求めるということは、そこにある種の信仰を見出しているのだろう。 どうしたら非合理

    ブルマの興亡史 - 本しゃぶり
  • エマ・ワトソン演説と「個人的なことは政治的なこと」

    始めに言っておくと、私はエマ・ワトソンは男性側にかなり融和的な方向性取ってるな、と思ってて別にエマワトソンになんら含むところはありません。 ただ、それでもエマ・ワトソンが述べている理屈にも論理的に穴はあると思ってるし全てに賛同できるわけでもありません。 それはフェミニズムでもメンズリブでもなんでもそうだと思いますけど。 「個人的なことは政治的なこと」っていうフェミニズムで重要な役割を果たしてきた言葉があります。 従来、個人的(プライベートパーソナル※指摘あったので修正)なことってのは公的(パブリック)な部分とは完全に分けられていて基的に関係のないことです。 という前提で議論がされていました(1920年代以降の第一波フェミニズムのあたり) 例えば選挙権に関して言うと公的なことなのできちんと女性の権利を向上させよう。 といった具合に。 ところが第二波の辺りからこの点に関して疑義が呈されるよう

    エマ・ワトソン演説と「個人的なことは政治的なこと」
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