ということになりました。 しかし、皆さんよくご存知のように、本当に身分制度がなくなったのはずっと後の話です。 明治時代は、大きく分けて華族・士族・平民となっており……。 今回は明治2年(1869年)6月17日に制定され、良くも悪くも特権を持っていた【華族制度(公侯伯子男)】について見ていきましょう。 もともとは清華家の別称だった「華族」華族は元来、公家の中の「清華家」と呼ばれる家々の別称でした。 これは、平安時代に栄華を誇った藤原氏の子孫である「摂家(五摂家)」の次にエライ家柄とされたもので、7家ありました(後に9家 記事末※注1)。 そうした由緒正しい公家と、大政奉還~廃藩置県の流れで(一応)特権階級の地位を離れることになった元大名たち=武家を合わせたのが明治~昭和前半の「華族」となります。 ※以下は大政奉還や廃藩置県等の関連記事となります