井上達夫は、法の支配の議論の中核的な関心は権力の答責性確保にあるとし、その答責性確保の要諦は「決定に事実上の規定力をふるい、それがもたらす便益も享受しながら、決定の負の帰結に対しては責任をとらず「食い逃げ」する主体を排除すること、決定権力を行使しうる主体を明確に限定すると同時に、決定が誤った場合にその主体に「首を切られる」責任を帰せしめること」(井上達夫「司法改革論議を改革する」、『体制改革としての司法改革−日本型意思決定システムの構造転換と司法の役割』、信山社、2001年、18-19頁)であると述べている。私は、このような法の支配の実現のためには、むしろ「法の支配−死と再生」(『法という企て』(東京大学出版会、2003年)第2章)で展開した強い構造的解釈よりも、法の支配の内実を、法の内容の特定、明確性、公布(秘密法の禁止)に絞ってこれを厳格に守らせるより限定的解釈(「弱い解釈」)のほうが