東日本大震災の発生から9年が過ぎた。「3・11」を前にした3月上旬、ロッテ佐々木朗希投手(18)の故郷、岩手・陸前高田市や大船渡市を訪れた。 大船渡高卒業式の数日後だった。限りない可能性を秘めた若者を見送ったばかりの、人々の声を聞きたかった。そして、街の「いま」を見たかった。 初めて訪れたのは、震災翌年の10月。当時、会社の許しを得て“自転車全国行脚”なる企画を実行していた私は、宮城・仙台を出発して5日後に陸前高田に着いた。視界に入るのはガレキと、そこに街が「あったと思われる」荒野。タイヤがパンクしないよう、路面に散らばる石を避けながらペダルをこいだ。残存する建物の5階は普通なのに、4階より下は窓が割れている。気がついたら涙が出ていた。当時は知る由もなかったが、朗希少年たちの日常もそこにあったのだ。 9年。ガレキは片付けられ、山が削られ、土がベルトコンベヤーで運ばれ、高さ10メートル以上か