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いい話と宗教に関するiwwのブックマーク (3)

  • 靖国神社を誤解する中国人に写真を見せて実際どんな場所か説明してみた - 黒色中国BLOG

    以前、中国に住んでいた頃、中国人の友人と話していたら、靖国神社の話題が出ました。 友人は、靖国神社をずいぶん「悪い場所」と思い込んでいて、「まぁ、中国人だからそう思うのも無理ないわな…」と思いましたが、話を聞いている内に、「何か変だな」と気づいたのでした。 「いや、オレも靖国に行ったことあるけど…」と私が告白すると、 「どうしてオマエが靖国に行くんだよっ!」と友人がひどく怒るので、 私が参拝する事情も説明しつつ、撮影した写真も見せながら、靖国神社が実際はどんな場所なのか、説明したことがありました。 最近、ハードディスクにたまった昔の画像を整理していたところ、友人に見せた写真が出てきたので、当時私が友人と話した内容を、写真と共に、こちらで再現してみようと思います。 【目次】 その前に…どうして私が靖国神社の参拝するのか 中国友人に写真を見せて靖国神社を説明してみた 第一鳥居から外苑休憩所ま

    靖国神社を誤解する中国人に写真を見せて実際どんな場所か説明してみた - 黒色中国BLOG
  • 群盲象を評す - Wikipedia

    この寓話を元に彫られた壁絵。タイ北東部。 群盲象を評す(ぐんもうぞうをひょうす、群盲評象)は、数人の盲人が象の一部だけを触って感想を語り合う、というインド発祥の寓話。世界に広く広まっている。しかしながら、歴史を経て原義から派生したその通俗的な俚言としての意味は国あるいは地域ごとで異なっている。真実の多面性や誤謬に対する教訓となっているものが多い。盲人が象を語る、群盲象をなでる(群盲撫象)、群盲象を撫づなど、別の呼び名も多い。[1] その経緯ゆえに、『木を見て森を見ず』 と同様の意味で用いられることがある。 また、『物事や人物の一部、ないしは一面だけを理解して、すべて理解したと錯覚してしまう』 ことの、例えとしても用いられる。 さまざまな思想を背景にして改作されており、ジャイナ教、仏教、イスラム教、ヒンドゥー教などで教訓として使われている。ヨーロッパにも伝わっており、19世紀にはアメリカの詩

    群盲象を評す - Wikipedia
    iww
    iww 2021/02/18
    『しかし何らかの理由でそれが同じ物の別の部分であると気づき、対立が解消する』 続きがあったんだこれ。 いい話じゃん。 でも言葉狩りにあって消えていくんだろうな
  • 「俺の邪悪なメモ」跡地

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