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Wikiと文化に関するiwwのブックマーク (10)

  • 霧雨魔理沙がWikipediaから削除される日 ファンカルチャーとの最悪な相性

    2022年12月30日(金)12:41(UTC)、Wikipedia:削除依頼/霧雨魔理沙が提出されました。 理由は、日語版ウィキペディアにある霧雨魔理沙の記事が、2007年4月27日にできて以来16年間、ずっとWikipediaの独立記事作成の目安を満たしていなかったためです。 同人ゲーム「東方Project」に登場する霧雨魔理沙に関する情報はほぼ全て、サークル・上海アリス幻樂団主宰であるZUN氏の手の入った一次資料か、ファンのつくった検証可能性を満たさない情報ばかりでした。 後述しますが、それらは出典に問題があるため、ウィキペディアでは存続できません。議論では、「単独記事としての存続は不能だが、『東方Project』へのリダイレクトとしては存続できる」との意見が見られました。 例えばにじさんじのライバーは、自らの配信履歴や企画内容を振り返るとき、ウィキペディアではなく非公式ウィキを参

    霧雨魔理沙がWikipediaから削除される日 ファンカルチャーとの最悪な相性
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    iww 2023/01/31
    別にWikipediaに載らなくてもいいと思う。 Wikipediaが「役に立った」ってことは無いしなぁ。 公式Wikiとかいう表現も頭おかしいし
  • It's Over 9000! - Wikipedia

  • 渡辺明夫 - Wikipedia

    渡辺 明夫(わたなべ あきお、1969年(昭和44年)7月13日[1] - )は、日アニメーターイラストレーター、キャラクターデザイナー、アニメ監督、同人活動家。東京都出身[2]。フロントウイング所属[3]。 人物・略歴[編集] アニメーション専門学校を卒業後、スタジオ雲雀へ入社。退社後はフリーランスを経てフロントウイング所属[3]。 キャラクターデザインと作画監督を任されることが多い。アニメーターとしては、シャフトでの活動が中心になる前から長く新房昭之の監督作品に関わっている。代表作は総作画監督を務めた『The Soul Taker 〜魂狩〜』、『化物語』など〈物語〉シリーズ[4]。 アニメのキャラクターデザインでは「渡辺 明夫」名義が多く、まれに「渡辺 あきお」名義の場合もある[5]。イラストレーターやキャラクターデザイナーとしては、「ぽよよん♥ろっく」の名義を用いることがある[

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    iww 2022/01/05
    『特徴としては、少女が、緑色で半透明の腕輪を付けていることが多い。』
  • 江戸しぐさ - Wikipedia

    江戸しぐさ(えどしぐさ)とは、芝 三光(しば みつあきら)[注 1][1]が創作・提唱し、NPO法人江戸しぐさが「江戸商人のリーダーたちが築き上げた、上に立つ者の行動哲学」[2]と称して普及、振興を促進する概念・運動である[3]。「江戸しぐさ」はNPO法人江戸しぐさが「紙類、文房具類、印刷物」「セミナーの企画・運営または開催、書籍の制作、電子出版物の提供、教育文化・娯楽・スポーツ用ビデオの制作(映画・放送番組・広告用のものを除く)」に関し、商標権を有している[4][5]。 しかし2022年時点で、江戸しぐさが江戸時代に実在したという事実は史料によって確認されていない。このことについてNPO法人江戸しぐさの理事長である越川禮子[6]は「江戸しぐさは口伝で受け継がれてきたものであるため、資料としては残っていない」と述べている[7]。また、明治政府が江戸しぐさの摘発を行い、さらに多数の江戸っ子

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    iww 2015/01/06
    『利用者:十七条憲法記念日』 『この利用者は現在ブロックされています。』
  • ディオゲネス (犬儒学派) - Wikipedia

    ディオゲネスの胸像 ディオゲネス(英: Diogenes、希:Διογένης Diogénēs、紀元前412年? - 紀元前323年)は、古代ギリシアの哲学者。アンティステネスの弟子で、ソクラテスの孫弟子に当たる。シノペ生れ。シノペのディオゲネスとも。 犬儒派(キュニコス派)の思想を体現して犬のような生活を送り、「犬のディオゲネス」と言われた。また、大樽を住処にしていた。翻訳によっては、「甕(かめ)」とも訳されるが、これは古代ギリシアの酒樽が木製のものではなく、甕であったためである。そのため、「樽のディオゲネス」ないし「甕のディオゲネス」とも言われた。 生涯[編集] 「ディオゲネスは銀行家(Τραπεζίτης:トラペジテス)のヒケシオス(Ικέσιος)の子でシノペの人。彼の父親は市(ポリス)の公金を扱う銀行家(έπιµελητής:監督者)であったが、“通貨(ノミスマ)を変造(パラハ

    ディオゲネス (犬儒学派) - Wikipedia
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    iww 2014/10/15
    アテネの学堂、いい位置にいる
  • 切腹 - Wikipedia

    『太平記』によれば、鎌倉時代末期、護良親王の家臣村上義光が主君の身代わりとなって切腹した後、自身の内臓を引きちぎって敵に投げつけ、太刀を口に咥えて絶命するという壮絶な逸話が残っている。 室町・戦国時代[編集] この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "切腹" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年8月) 室町時代の明徳3年(1392年)に管領細川頼之に殉死した三島外記入道(『明徳記』)以来、平時に病死した主君に対して殉死を行う風習が始まった。 戦国時代後期から徐々に切腹の概念が変わってきた。豊臣秀吉が備中高松城を攻め、講和条件として城主・清水宗治の命を要求した際に

    切腹 - Wikipedia
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    iww 2013/06/25
    『この時に使う水はたらいの中にまず水を入れ、そこへ湯を足して温度を調整したものを使用する。』 もう切腹下知された時点で完璧に死人扱いなんだな
  • 陰間茶屋 - Wikipedia

    男性客(左)の背後で女中(右)と接吻をする紫帽子を被った色若衆(中央)。京の宮川町の陰間茶屋にて。西川祐信作。1716年〜1735年頃。 陰間茶屋(かげまちゃや)とは江戸時代中期、元禄(1688-1704)年間ごろに成立した陰間が売春をする居酒屋・料理屋・傾城屋の類。京阪など上方では専ら「若衆茶屋」、「若衆宿」と称した。 概要[編集] 元来は陰間とは歌舞伎における女形(女役)の修行中の舞台に立つことがない(陰の間の)少年を指した。彼らが男性と性的関係を持つことは、女形としての修行の一環と考えられていた。但し女形の男娼は一部であり、今でいう「女装」をしない男性の姿のままの男娼が多くを占めていた。陰間茶屋は当初は芝居小屋と併設されていたが、次第に男色目的に特化して、独立した陰間茶屋が増えていった。 売色衆道は室町時代後半から始まっていたとされるが、江戸時代に流行し定着した[1]。江戸で特に陰間

    陰間茶屋 - Wikipedia
  • ザ・ドリフターズ - Wikipedia

    ザ・ドリフターズ(英: The Drifters)は、1956年(昭和31年)に結成された日音楽バンドおよびコントグループである。1969年頃まで主にバンドとして[1]、それ以降は主にコントグループとして活動。通称はドリフ。1960年代後期から1980年代前期を全盛期に、TBS系の『8時だョ!全員集合』やフジテレビ系の『ドリフ大爆笑』などのテレビ番組に出演し、国民的人気を誇った。1990年代以降は個人での活動が増えていった。 概要[編集] 1956年にマウンテンボーイズ(1952年 - 1955年)と東京ウエスタンボーイズが合併して結成されたロカビリーの音楽バンドサンズ・オブ・ドリフターズが前身。井上ひろしとドリフターズの改名を経て、メンバーの大量脱退による解散危機に見舞われ、 新メンバーを拡充後、桜井輝夫とドリフターズに改名してロックンロールからコミックバンドへと転向していく。碇矢長

  • 岡場所 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "岡場所" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2017年8月) 岡場所(おかばしょ)は、江戸時代に江戸において、唯一幕府公認の遊女屋(女郎屋)を集めた遊廓である吉原に対して、それ以外の、非公認の私娼屋が集まった遊郭のことである[1]。「岡」は「傍目」(おかめ)などと同じく「脇」「外」を表す言葉である(例:傍目八目)。 概要[編集] 深川の岡場所で働く軽子(座敷へ酒肴を運ぶ人)を描いた月岡芳年の「深川の軽子」。『風俗三十二相』明治21年[2] 吉原の浅草堤移転にともない、湯女風呂に替り、江戸周辺部の寺社門前地の茶屋から発展した[3

  • 村崎百郎 - Wikipedia

    村崎 百郎(むらさき ひゃくろう、名:黒田 一郎、1961年 - 2010年7月23日)は、日の鬼畜系・電波系ライター、編集者、翻訳家、漫画原作者。漫画家の森園みるく。 生まれつき「電波」を受信する特異体質であると自称し、狂気に満ちた特異なキャラクターと豊富な知識で書かれる秀逸かつ猟奇的な文章で「鬼畜系」の地位を築き「電波系」という言葉を定着させた。 概要[編集] 村崎百郎は『月刊漫画ガロ』(青林堂)1993年10月号の特集「夜、因果者の夜」で特殊漫画家の根敬によるゴミ漁りのインタビューで「村崎百郎」としてメディアに初登場。その後、世紀末の鬼畜ブーム・悪趣味ブームにおいて「すかしきった日文化を下品のどん底に叩き堕とす」ことを目的に1995年より「鬼畜系」を名乗り、この世の腐敗に加速をかけるべく「卑怯&卑劣」をモットーに日一ゲスで下品なライター活動を始める[1]と宣言[2]。

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