実は去年末あたり『シェンムー3』のレビューに取り組んでおり、結局うまく書けずにわやになってしまったりなどしていた。なぜうまく書けなかったのか自分なりに分析すると、あまりメディア向けの言葉をつかって説明するのに適していない(とオレは感じる)ゲームだからなのではないかというような気がした。お行儀の良い、「レビュー」の言葉遣いでは、少なくともオレにとっての本作を正確に描写することはできない。『シェンムー3』は、有り体にいえば中年ゲーマーの懐古主義であり、アジアへの(誤解に基づいた)憧憬であり、ここではないどこか、今ではないいつかに作られたゲームかのようだった。だから本作をたった今現在、この場所から語ることには多大困難が伴う。昨日見た夢の話をするようなもんだからだ。 『シェンムー3』はいい意味で夢のように感じられるときもあるが、悪夢のようでもあった。特に、堂々巡り感や自家中毒感が悪夢じみている(制
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