二度お会いしたことがある。会ってどうというものでもないが。個人的にきいてみたいことがあってきいてみた。 私が若いせいもあるのだが、その時の対人的な印象として冷っとした感じがした。その後、息子さんとの書簡なども読むのだが、息子さんや奥さんとの対話の言葉にも、あの冷っとした印象を覚える。言い方は悪いが、罪とか隠し事とかそういう大きななにかを心に抱えた人のように思う。 あのころ、お会いしたころだったか、彼が統一教会とかでも講演をしていると聞いたことがある。よくわからないのだが、普通のクリスチャンならそこには行かないだろうというところでいろいろ出向いて説明をされていたようだ。そのことと、あの冷っという感じは私の心のなかでつながっている。彼はある理由があってというか、常になにか公に向かって立っていたように、今は思う。それを神というなら容易いのだが、そう言うことは言葉の遊びでしかないだろう。 ネットで