逮捕される前の記者会見で、村上世彰氏は「なぜみんなが私を嫌うのか、それはむちゃくちゃ儲けたからですよ」といっていた。たしかに、合法的な投資であっても、彼のような貪欲な行動は嫌われる。それは先日も書いたように、日本だけではなく、米国でも同じだ。行動経済学の実験でも、人々の行動は、標準的な経済学の想定しているほど利己的ではない。他方、オープンソースのような「非営利」の行動は、道徳的に美しく感じられる。利己的な行動は醜く、利他的な行動は美しく見えるのは、なぜだろうか? この種の問題の経済学的な説明としては、フランクの『オデッセウスの鎖:適応プログラムとしての感情』という本がある。その論理は、単純である:もしも人類が利己的な行動を美しいと思う遺伝子をもっていたら、人々は互いに殺しあって、とっくに滅亡していただろう。利他的な行動を美しいと思う感情が遺伝子に組み込まれている個体からなる群だけが生存競