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学校と退学に関するj708のブックマーク (1)

  • 江戸のニート 2 - 猿虎日記

    ところで、「ニート」は、働きもせず、また学校にもいかないもの、とされているが、そもそも江戸時代には、近代的な「学校」自体がなかったわけで、「学びからの逃走」もなにもない。とはいえ、江戸時代にも、武士のための「藩校」、また平民のための「寺子屋」などはあった。しかし、寺子屋は、明治以降の学校とはまったく違ったものだった。小熊英二の『日という国』(理論者よりみちパンセ)には、寺子屋が現代の学校といかに違ったものであるかが書かれている。 寺子屋は、いまの小学校みたいに、一斉授業方式でもなければ、教育課程がきちんときまっていたわけでもない。(……)寺子屋は、随時入学、随時退学の場合がおおかった。年齢も七歳ぐらいで入ってくる者もいれば、十七歳くらいで入ってくる者もいた。(……)地方の寺子屋などでは、農業がわりあいひまなとき、「この子も寺子屋に行かせるか」と親が考えたら、それが一月であろうと十一月であ

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