『〈美少女〉の現代史――「萌え」とキャラクター』をつらつらと読了。半年くらい前に「qune: 箱男のリアリティに見る透明な視線」というエントリを書いたんですけれど,ササキバラ氏にいわゆる「透明な視線」は,やはり『箱男』的なモチーフがあったんだと確認しました。個人的には勘があたって嬉しいんですけれど,半年前にエントリを読んだ方は,「何を今さら」な感想があったかも……。 一応,該当箇所を引用しておきます。 自分が他人から「見られない」ということは、自分が「透明な存在」になっていくことにほかなりません。 見るという自意識は存在しても、他人からは見られない。そういうとき、たとえば安部公房の「箱男」という小説のことが思い出されます。 (snip) まんがの中では,八〇年代以降のエロまんがに、そのような感覚が明確に表われています。これらの作品には、多くの美少女が登場し、性行為のシーンも頻繁に描かれます