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年代と共同体に関するj708のブックマーク (2)

  • 2006-06-03

    ※このエントリーはhttp://d.hatena.ne.jp/otokinoki/20060413/p3にインスピレーションを受けた文章です。 序論・80年代的バトル漫画とは。 80年代は父権の打倒、あるいは親子の融和が大きなテーマだった。いずれにせよ、「父権性」が漫画の問題意識だったと思われる。例えば、梶原一騎の作品に、その典型が見られるだろう。 「巨人の星」の星一徹(あるいは、マス大山)的な「分かりやすくでかい父親」像は「強くなりたい」幻想の源流となった。 父権にまつわる問題は、要するに「子(=主人公)の着実な成長」についてであり、漫画という視覚的な分野においては「強くなること」こそがもっとも端的な「成長」をあらわす方法だったので、すごいパンチが打てたり、すごい剛速球が投げれることを描くことが、この時代の中核を担うこととなった。*1 この「強くなりたい」幻想はやがて、「ドラゴンボール」

    2006-06-03
  • 共同体としてのオタクの過去の議論 - ARTIFACT@はてブロ

    『戦闘美少女の精神分析』をめぐる網状書評 http://www.hirokiazuma.com/project/ml-reviews/sentoindex.html 岡田斗司夫氏の「オタク is dead」絡みで竹熊健太郎氏の発言をちょっと発掘。2000年の話題。 タイトル:東−斎藤はなぜ噛みあわないのか?/「おたく」定義の混乱 http://www.hirokiazuma.com/project/ml-reviews/sento5.html 斎藤さんは「おたく」を定義づけることの困難を承知しつつも、「おたく的なるもの」そして「共同体としてのおたく」が実在することは疑いえないとして、それを自明の前提として『戦闘美少女』を執筆されている。他方、東さんは、宮台論文を引用しながら「共同体としてのおたく」はかつて存在したが、それは90年代に入って事実上消滅したのであり、現在メディアに流通しているそ

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