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消費に関するj708のブックマーク (5)

  • 「サポーター」という概念は、サッカーを消費させる為の都合のいい幻想に過ぎない。 - 想像力はベッドルームと路上から

    眞鍋カヲリを夢見て:日惨敗の責任は誰にあるのか この苛立ちは凄くよく分かる。実際、2002年以降、一部のサポーターの「お祭りムード」に対する苛立ちはネットや現場で広く言われてきたことだから。でもこの言説は、サッカーを観る者を『サポーター/消費者』という安易な対立構造に押し込め、ただ不毛な対立と、一部の「サポーター」の特権化を図るだけに過ぎない。そしてそれは、中・長期的に観ても日サッカーにとってまるで役に立たないどころか害悪でしかない。 そして、 改めて繰り返す。 代表のユニフォームを着ている消費者は醜い。 協賛企業の商品を買った消費者は醜い。 マスコミに踊らされた消費者は醜い。 僕はこれを全力で否定する。これが醜いのは僕等が「消費者」だからではない。僕等に「消費者としての視線」、つまり純粋に「サッカー(商品)を観る目」がなかったからだ。 今現在、プロサッカーにおいて(というか全てのプ

    「サポーター」という概念は、サッカーを消費させる為の都合のいい幻想に過ぎない。 - 想像力はベッドルームと路上から
  • バックライト不要の携帯電話を目指して--開発進む省電力型スクリーン技術

    現在開発が進められている携帯電話向けの新しい画面のコンセプトは、自然への回帰といえる。 Qualcommらが推進しているPDAや携帯電話向けの最新の画面技術は、太陽と液体のおかげで、1日中電源をオンにしていてもバッテリを消費しない。この結果、同技術を採用した画面を搭載した携帯電話は、株価、ニュース、内蔵MP3プレーヤーと連動する音楽ビデオを継続して表示できる。一方、現在の携帯電話では、必要に迫られて画面が暗くなる。 最新の画面技術がこれまでの画面と違う点は、バックライトを必要としないことだ。その代わり、太陽の光や画面内の液体の動きを利用して発光する。 先週米サンフランシスコ州で開催されたSociety for Information Display(SID)の年次カンファレンスにて、Liquavistaで最高経営責任者(CEO)を務めるMark Gostick氏は、バックライトはバッテリを

    バックライト不要の携帯電話を目指して--開発進む省電力型スクリーン技術
  • ガハハとは 一般の人気・最新記事を集めました - はてな

    1.笑い声の表現のひとつだが、実際には「ガハハ」と笑う人はいない。 2.伊集院光が良く使う例えで、金回りの良い中年男性的行動・人物などに用いられる。ガッハッハ。 良い意味では豪快、男性的、アクティブ、派手。悪い意味では下品、悪趣味といった両側面のニュアンスがある。 敬遠と羨望、相反する感情を伴って使用される場合が多い模様。 対義語:⇔D.T. このキーワードは編集待ちキーワードです。 説明文の追記などをして下さるユーザーを求めています。 希望内容:この言葉の2番の意味での初出・派生と、意味合いについてお願いします。 ※派生は関連キーワードを考え、みうらじゅんとの共著「D.T.」を製作する過程で生まれたと推測するが、それよりもずっと以前にラジオ内で使用していたかどうかの裏付けがとれていない。 また、意味合いはフィーリングによる部分が大きい言葉なので、個人による定義付けに限界がある為。 このタ

    ガハハとは 一般の人気・最新記事を集めました - はてな
  • 消費フェミニズム - 嗚呼院卒就職

    id:kmizusawaさんのところで初めてこの言葉を見ました。遅いのかしら。 新・後藤和智事務所 〓若者報道から見た日〓: (短期集中連載)三浦展研究。はてなキーワードもここから抜粋。ちょっと長めに引用します。 「消費フェミニズム」とは何かというと、これは米誌「ニューズウィーク」のコラムニスト、スーザン・ファルーディが使っている言葉である。ファルーディによると、平成12年の米国において、米国の女性が米国の現状をどう思うか、というインタヴューをしたところ、経済的には豊かなはずの米国において、返ってきた答えは《「怒りを感じる」「ひどすぎる」「うんざりする」》(スーザン・ファルーディ[2001]、以下、断りがないなら同様)というものである。ファルーディはこれを《新たな「性(ジェンダー)のギャップ》だと呼んでいる。 ファルーディは、米国において、《ここ数十年、「あればあるほどいい」が、商業化さ

    消費フェミニズム - 嗚呼院卒就職
  • 自分が消費しているものを生産している人々 - 研究メモ ver.2

    この前、久しぶりに下北沢にいった(写真)。地元は神奈川の藤沢なので、高校時代は小田急線でよくいったが、大学に入ってからはそんなに行かなくなった街だ。 東京には楽しい街がたくさんあって、買い物するなら下北沢とか高円寺とか原宿とかあるし、夜遊ぶなら渋谷とか六木とか西麻布とかがある。(うそです。西麻布には2、3回しか行ったことし、六木もたいしてよく知らないし、渋谷もたまにしか行かない。。。)吉祥寺もいろいろ面白いし、立川だってそんなにいかないけれど、あれはあれでいい味だしてると思う。 やっぱり、消費の街は楽しい。楽しいものは楽しいのだ。そんなに金がないから、あんまり(以外の)消費を楽しんでいる人間ではないが、もしお金と時間の余裕があれば、もっと消費文化にどっぷりはまっていただろう。 しかし、やっぱりそれでも自分が消費文化に浸かりきれない左翼だと思うのは、昔読んだ石弘之の『地球環境報告』(i

    自分が消費しているものを生産している人々 - 研究メモ ver.2
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