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端的と痛みに関するj708のブックマーク (1)

  • 「で、みちアキはどうするの?」 - パンもケーキもございませんが

    まず、「痛み」について。ウィトゲンシュタインは「私は自分が痛みを感じていることを知っている」という文章は無意味だ、というふうに考えていたようです(よく知りませんが)。というのは、「私は自分が痛みを感じていることを知らない」ということは、端的に言ってありえないからです。それは、「私は痛みを感じていない」、痛くはない、という事態にほかならない。つまり、一人称による経験の表明は検証不要/不可能であり、そのまま「そうである」と受け止めるほかない。最初の文で言うなら、ただ「私は痛みを感じている」だけでよいのです。そういうことはありますよね。たとえば、確かに頭が痛くて痛くてしょうがないのに、医者に行っても「どこも悪いところはありません」と言われるとか。しかし痛いものは痛いのであって、医者は「悪いところがないのだから痛くはないはずです」とは言えないでしょう。 では、「愛」について。ぼくは、愛の場合も痛み

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