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純粋に関するj708のブックマーク (10)

  • 未映子の純粋悲性批判: 子猫を殺し続ければよろしい

    作家の坂東眞砂子さんという人が日常的に子を殺しているのだそうだ。 なぜ殺してはいけないかという「なぜころ問題」についてちょっとでも考えたことがあれば、殺してはいけないという絶対的な理由なんかはこの世界のどこにもなく、あらゆる命は等しく無価値(by新井英樹「ザ・ワールド・イズ・マイン」)であり、そのとき折々の関係性で成立するもんであって、つまりオール時価なわけだ。坂東さんのように生まれたしりから子を崖にぽいぽいと放り投げることが出来る人はそれが出来るのだから出来る人なんであって、そのことについて「がかわいそうニャ」とか「呪われろ!」とかを云っても書いても、気持ちはわかるが仕方ないんであって、坂東さんの住んでる地域では法律違反でもなさそうだし、どうにもならんな。 坂東さんは人間側から想像する<の生>を<生殖がすべてである>と解釈して代弁しつつ、尊重する手段として避妊手術を否定し「能の

  • iza:イザ!

    エラー内容 以下のいずれかの理由により、該当するコンテンツを表示することができませんでした。 コンテンツの公開が終了した。コンテンツが削除された。 指定したURLが間違っている。その他、やむをえない事情があった。 ご不便をお掛けして申し訳ございません。 何卒よろしくお願いいたします。 イザ! イザ!トップへ戻る

  • 純粋なココロ 2.0: 「フェミニズムはみんなのもの」だって、騙された俺がバカだったよ

    ↑タコシエ・オンラインにて絶賛発売中!通販可能!在庫切れの際はご容赦ください。 【関連サイト】 ・純粋なココロ(旧サイト) ・世界のはて(はてなダイアリー別館) ・Twitter@Masao ・コミットメントを欠く「フェミニズムへの助言」への懐疑 http://macska.org/article/151 (※改行の関係で引用が読みにくいので、原文に当たることを推奨) フェミニズムの運動は社会における男女の平等を主張しつつ、現実の政治的行動において必ずしも女性の問題と男性の問題を対等に扱うということはしない。それは運動内において「男性のマージナリティ(周縁性)」が「フェミニズムの条件」(フェミニズムにおいて男性は周縁化されるべき)だからなのではなく、社会における「男性のセントラリティ(中心性)」という現状認識がフェミニズムの大前提だから。わたしはフェミニズムが女性だけのものだ

  • 純粋なココロ 2.0: 僕が「社会規範からの抑圧」に執着する理由 〜ある脱オタ者の眼に映るジェンダー〜

    純粋なココロ 2.0 ↑タコシエ・オンラインにて絶賛発売中!通販可能!在庫切れの際はご容赦ください。 【関連サイト】 ・純粋なココロ(旧サイト) ・世界のはて(はてなダイアリー別館) ・Twitter@Masao 【僕の主張のバックボーン】 前回の記事について、いくつかの異論、反論が寄せられました。 ・「ジェンダーフリーではないフェミニズムには反対」論の自意識過剰と不寛容 ・フェミニズム 社会運動 ジェンダーフリー 男女 抑圧 当事者 ・見出し付け忘れてた。 フェミニズム 弱者男性 社会運動 確かにあの記事はツッコミどころはあると思いますよ。でも、僕がああいうなことを書いているのには、それなりの理由があるんですよ。 それを理解してもらうには、僕があの思考に至った過程を、過去の体験とからめて順を追って話していくのが一番だと思いました。少し長くなりますが、書いておきます。確かに

  • 純粋なココロ 2.0: 本当に抑圧されているのは誰か 〜「フェミニズム」と「ジェンダーフリー」は別物なの?〜

    ↑タコシエ・オンラインにて絶賛発売中!通販可能!在庫切れの際はご容赦ください。 【関連サイト】 ・純粋なココロ(旧サイト) ・世界のはて(はてなダイアリー別館) ・Twitter@Masao 【実際に抑圧されているのは『男』でも『女』でも『ゲイ』でもなく、『社会から求められるジェンダー規範に乗れない/乗りたくない人たち』ですよ!】 ・kmizusawaの日記 - 順番が違う http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20060712/p1 フェミニストには、弱者男性の面倒を見てやる義理はねぇ!というご意見。激しい違和感。 確かに義理はないんだけどさ。もしフェミニズムが「ジェンダーフリー」なり「男女平等」なりをを実践しようという運動なのだとしたら、弱者男性のジェンダー問題も、当然視野に入ってくるんじゃない?っていうのが僕の考えだから*1。 いやね、僕はフェミ

  • laiso(2006-07-02) - [mixi日記] 純粋日記への道 - ハゲ良いこと言うなあ。ハゲのクセに。 -

  • なぜ「他者」は特別なのか  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    1 他者志向性 2 他者の特別性 3 世界の他者化 <解説> 再掲載シリーズ第ニ弾。(掲載 2004.6.1〜2004.6.3)ここにはその後の思考の原型があります。ただ「他者志向性」は先天的であるのか。人は生まれながらに人を知っているのか。 1 他者志向性 世界への他者志向性 たとえば火星表面の人面石とはなんでしょうか。火星の表面を観察をしたところ影が人の顔のように見えた。そのほかにも人面魚というのもありました。鯉の模様が人の顔のように見える。このような現象におもしろいのは、偶有的な模様からそのような模様に惹かれることです。ここにはそこに「意味」を感じるという人の「志向性」があります。 たとえば富士山を見たときになんらかの感慨を持ちます。海に沈む夕日であり、星空であり、花であり、なんらかの感慨をもちます。偶有的なものであるはずなのに、理解できないところで心が何かを感じてしまう。そしてこの

    なぜ「他者」は特別なのか  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    j708
    j708 2006/07/02
  • 宝の持ち腐れ? 伝家の宝刀? アクセスログ活用法 - ビジネススタイル - nikkei BPnet

    宝の持ち腐れ? 伝家の宝刀? アクセスログ活用法 話題企業のWebサイトにアクセスしてみれば・・・ 誰でもというわけでもないだろうが、なにか事件が報道されると、関連するWebサイトにアクセスする方は多い。純粋に情報収集が目的の方々も少なくないだろう。しかし、我が現場に限ってみれば、「どんな会社?どんな人?」という好奇心で、興味津々にWebサイトを眺めるだけのことだから、あまり褒められる行為ではないような気もする。 とはいえ、「共同作業か、盗作か」で広く知られるようになったアルベルト・スギ氏のサイトで、はじめてスギ氏の作品にふれたり、「村上ファンドって、正式には『株式会社M&Aコンサルティング』なんだぁ」と、それなりの成果(?)もないわけではない。 もっとも、そのような場合、スムーズにアクセスできた例はない。先日も「メンテナンス」という言葉に過剰反応し、話題となっているシンドラーエレ

  • ブログ論書けない。 - 抽斗ドロウアウト

    今、コメントについて書こうと思って、途中まで書いてたんですけど、やめちゃいました。 どうもブログでブログについて書くってことに違和感があるのかもしれません。だって自分が書いた瞬間にその文章は自分のブログに返ってくるんだもの。これはちょっと怖いですよ。 だからブログ論を書いてる人たちはすげぇなあと思います。そんな人たちは、書いたことに責任をとる覚悟があって、実際できてるように見えます。あの人とかあの人とか。 ブログについての文章をブログに載せた途端、そのブログはブログでありながら、ブログでなくなってしまう、いわばメタブログ。純粋な意味でのブログとは言えない気がするんだよなあ。広い意味ではブログなんですけどね、その間口の広さがブログのよさでもあるわけだし。でもやっぱり、区別しておきたい、自分の中では。 純粋日記なんて言葉がありますが。じゃあ純粋ブログってなによってことを我々 blogger は

    ブログ論書けない。 - 抽斗ドロウアウト
  • さよなら文化、そしてこんにちはウ○コ - 死に舞

    ずいぶんと更新していなかったけど、それはいい回文が思いつかなかったまでなのだが、前書いたエントリが以外にも注目されていて、いい加減な文章で正直すんませんという気持ちだけど、そこまではっきりと提起したい問題があるわけでもなく、今回もずっと気になっていた点についてちょっと書いておく。 なお世間のはてなを賑わしている、件の騒動については詳しくはしらないので、それに関係する内容であっても、その議論になにか言いたいわけではないのでそこらへんよろしく。あ、ただチャーチルさんには俺も会って見たかったYO! 前のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/shinimai/20060501/p3)で基的に言いたかったことは、オタクvsサブカルにしろ、腐女子vs文化系女子にしろ、古くは中二病にしろ、これらの議論は「文化」ってもんを非常に矮小化しているように感じるってことだ。つまり前者が後者を批判

    さよなら文化、そしてこんにちはウ○コ - 死に舞
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