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茶漬に関するj708のブックマーク (5)

  • 子供の居場所とか。 - ちゃずけのはてなにっき

    昨日書いててふと思ったんだけど、日の「公園」って不親切に出来てるよなあ、 「市民」の憩いの場、とか言いながらもう13才以上は「出てってください」になってるような、 むろん夜は「18才未満お出入り禁止」てな状態になるし。つまりよちよち歩きの幼児やせいぜい小学生までの 遊び場にしかならなくて、ぼんやりそれ以上の子供達が過ごす場所とは言いがたい「つくり」ってこと、 場所にもよるけど、中学生くらいの子がぶらぶらしてて不自然じゃない公園ってあんまりないように思う。 サイバラさんの「毎日かあさん」にもちらっとあったように、中学生くらいの男の子が、公園でいたら うさんくさげに小さな子供を連れた親に見られるし、かといってコンビニ前にたむろってると大人に嫌な顔されるし、 行き場がないよね、って私もなんだか気の毒に思う。うちの子は娘さんだからお家でごそごそ、 或いはお友達の家でごそごそでいいけど男の子の場合

    子供の居場所とか。 - ちゃずけのはてなにっき
  • はじめと終わりがつながってませんが、御容赦ください。 - ちゃずけのはてなにっき

    履修問題では二人も校長先生が自殺しているのに、いじめ自殺で死ぬ校長先生がいないのは実に不思議なことだ。 人一人の命が失われ、もう2度ともどってこないことよりも、生きている生徒の回復可能な単位数問題の方が 先生にとっては大事らしい、つまり、親から預かった生徒の命をなくしたことより 文科省の言うなりにならなかったことの方を恥じる気持ちが強いのだろう、誠に日教育とは偉大だ、 「上意」を「下達」できなかったことに死を持って詫びる、と言う礼節が生きている。 今校長世代とは戦後生まれの人ばかりだと思うが、私は戦後の教育は「死ぬな」を教えることだと 思っていたのにその教育が身についてない人までが校長にまで登りつめるのだから、この先大変心強い、 たとえ教育法が改悪されて「お国のために死ぬことがよいことです」と教えられても それに心から従う人はお上が思うほど多くはないことだろう。 もちろん亡くなった

    はじめと終わりがつながってませんが、御容赦ください。 - ちゃずけのはてなにっき
  • ふん。 - ちゃずけのはてなにっき

    よそさんのブログを拾い読みさせて頂いたところによるとなんと大学入学資格にボランティアで 農業するのどうのと言う話がでているそうで、わはは、そこまで政治家は天然馬鹿かと笑った。 私はね、もう不安を煽られるのに飽きちゃってるから、この程度のことではざわめかない。 今公立校の最前線で子育てしてる最中だし、多分どの政治家より公立校の子供を見て知ってる (あくまで議員さんよりは、の話ですけど) まー、こんなチャンチャラおかしい政策で子供がまともになるなんて思ってるなら当に将来日は滅亡でしょうな、 このボランティア云々は全ての大学入学志望者に適応されるものかしら、私立一貫校から附属大学入学組にも、 あるいは灘、ラサールクラスから東大一直線組にも、それはさせるのかしら、それとも親の収入によって、 いくら払えば免除ってやつになるかな?国立進学組のみ?それとも私立大に入る人間も?受け入れる側の農家は ど

    ふん。 - ちゃずけのはてなにっき
  • 戦争の、話。(その1) - ちゃずけのはてなにっき

    小泉総理、靖国参拝カウントダウンが始まっているが別に行きたければ行けば、と思っている。 もうこれは自己満足の世界だと人が突っ張ってる以上相手にする価値さえない、辞める人だし。 それより広島や長崎の原爆式典の方々が小泉総理にはっきり、 「原爆が投下される前に戦争をやめられなかった人たちが合祀されているところに 平気で参拝するような人には来て欲しくない」と断ったらいいのに、と思う。 どうせおざなりに来るだけなんだから、もう政治家のパフォーマンスに使われるのは嫌だと拒否したって いいんじゃないか、そうするわけにはいかないのかなあ。 「日を守る」「アジアの平和のために戦う」なんて言って、結局何にもできなかったA級戦犯達を 「英霊」なんて奉るのがどれくらい他の犠牲者達を馬鹿にしている事か、 戦争が終わる1年以上も前に戦死していながら正式の公報が送られてきたのは戦争に負けてから6年も経ってから、

    戦争の、話。(その1) - ちゃずけのはてなにっき
  • 教師への暴言。 - ちゃずけのはてなにっき

    教師への暴言と言えば小学校時代の先生を思い出す。シベリア帰りの社会科の教頭先生で よく戦争に行った時の話しを聞かせてくれた。シベリアではウンチをしたら出たところから凍っていった、とか どれくらい戦地でひもじい思いをしたか、とか小学校中学年だった私はわくわくして聞いていたものだ。 戦争に行ったのは二十歳の頃でしょっちゅう腹がすいていて、配給でキャラメルをひと箱もらって 大事においてあったら人にとられて、それも同じ部隊の「戦友」である事は間違いなくてものすごく 悔しい思いをした、と、シベリア抑留を経て帰って来て、凄まじい飢えを経験したせいかいくらべても 満腹する事がない、またちっとも太らないと言う、当に鶴のように痩身の先生の話は何よりも リアリティーがあった。先生はあまりシベリア時代の事は話さなくてただ軍で日常生活がどれほど不快だったか、 と言う事をよく話してくれた、いつでも「当に戦争

    教師への暴言。 - ちゃずけのはてなにっき
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