「神無月にかこまれて」。井上陽水さんの名曲です。十月は神無月。でもこんな時代だからこそ、あえて“替え歌”にしてみます。「神在月にかこまれて…」 出雲では旧暦十月を「神在月」と呼んでいます。 「国の尻、道の果てにまで住みたもう」三千余の神々が出雲大社に参集し、各地の課題や縁結びについて話し合うサミットを前にして、人々は稲佐の浜にかがり火をたき、「神迎え」にわきたちます。 巨大な甲虫のような千木をいただく本殿は、八雲山の太古の森に抱かれて、立ち上る朝もやが「八雲立つ出雲八重垣」(古事記)そのままに、神々の実在を五感に伝えてくるようです。 ■つづられる新たな神話 大社造りの建築様式そのものが、山、川、海のつながりを表すという人もいます。 神々への恐れはつまり、悠久なるものへの恐れ、八百万の自然に宿るいのちへの恐れに違いありません。 出雲から西へ下れば、お隣は明治以来八人目の宰相を生んだばかりの山