私はタバコが死ぬほど嫌いだ。JR東日本全面喫煙ざまぁ。ざまぁ。 だが、嫌煙運動の際に健康とかなんだとかいう建前をいうのもあまり好きじゃない。 政策としては妥当な方法だが、個人が喫煙者を批判するときに健康問題を出しても意味がない。 そこに本心がないからだ。どれだけとりつくろっても、感情的な問題なのだから。 嫌煙の私が一番嫌いなのは喫煙者たちの「私は虐げられている」という被害者面だ。 こいつらが被害者面をする限りは、どんなことがあっても彼らへの追及をやめるつもりはない。 喫煙者は、今でこそ立場が弱くなったのかもしれないが、 昔自分たちがタバコを吸わない人間に何をしたか覚えてない。それが許せないのだ。 自分が若い時は嫌煙とかスモハラなんて言葉はそれほどメジャーではなかった。 タバコを吸ってるやつの態度はでかかった。 分類は「タバコを吸うやつ」と「その他」だった。関係は対等ではなかった。 タバコを
自分が若いとは思わないけど、会社で同年代飲み会をしたときのお酒の注文時に「とりあえずビール」の空気はなかった。 私は必ず梅酒ロックだし、他の人も飲みたいものを頼む。 四つ年下(成人しています。)の飲み会に参加したときも同じ空気だった。 「とりあえずラッシー」の嵐。それお酒じゃない!と言う突っ込みはさておき思い思いのものを飲む。 「最初の乾杯だけでもビールで」とは誰も言わない。 年配の人が多い飲み会だと「とりあえずビール・・」「最初だけでも・・」「コップに入れるだけでも・・」と、ビールを注がれる。 そんな話をしたら親と同じ年代の部長が「もう若者が何を考えているかわからないなぁ」と驚いていた。 お店のことを考えると注文はまとまっていたほうが楽なんだろうけど、やっぱりお金を払うなら、時間を消費するなら最初から好きなものを飲んで過ごしたい。
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