わずか2年強の間に燃え尽きながら、その後のカルチャーに多大な影響を与えたパンクを世に送り出した男マルコム・マクラーレン。ムーヴメントの誕生から死までを内側から見届けた文筆家フレッド・ヴァーモレルが、マクラーレンの知られざる人間像に迫る。 Story by Fred Vermorel パンクの父は最後に何と言ったか マルコム・マクラーレンの義理の息子ベン・ウエストウッドによると、マクラーレンの最後の言葉は「レオナルド・ペルティエを解放せよ」だった。ペルティエは警官殺しの罪で投獄されたネイティブアメリカンの活動家だ。そしてマクラーレンの元パートナー、ヴィヴィアン・ウエストウッドは、ペルティエはネイティブアメリカン版ネルソン・マンデラだと信じている。 Malcolm McLaren マルコム・マクラーレン 学生時代に出会ったヴィヴィアン・ウエストウッドと1970年代にブティックをオープン。