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ブックマーク / ottiee.hatenablog.com (3)

  • 文章とデザイン - not simple

    文章を書くことと、デザインはすごく似ているなあ、という最近の学びについて書きます この文中でのデザインという言葉は、一般的な人が想起するであろうデザインのイメージ 要はビジュアルデザインやUIデザインなど、目に見えるデザインとしてのそれとなります 前提 言葉を使って物事をわかりやすく人に伝えるという能力に 長けているというか多分その手の天才が隣で仕事をしてて その彼がプレゼン資料やブログを書いている様を見ていて 「ああ、これはデザインだ。」という思いに至っています 書くこと≒デザイン 文章もデザインも伝えたいことを整理してアウトプットするというもので 乱雑なアイディアの群れを捨てたり足したりして一つの塊を産むところや どちらも基礎ができてなければ自由な表現が難しいというところも同じで 良いと思ってたものをいざ形にすると実はカスだったりするところも同じ どれだけ推敲に推敲を重ねたとしてもそれ

    文章とデザイン - not simple
    japanitnt
    japanitnt 2016/11/07
  • デザイナーは抽象と具象の間を這いずり回る - not simple

    前回デザインについて感性と論理の2軸で書いたのですが、抽象と具象の2軸も良く考える話だな、と。 けっこう常に意識的にしている観点なのですが、社内のデザイナー向け勉強会で使う「新人デザイナーにデザインのレビューをするときに注意してる10のこと」みたいな資料をまとめている際に 「具体的で細かい指摘をしている直後に突然抽象度の高い話を振って混乱させて惑わせる思考を活性化させる」みたいな章があったので、改めて言語化しておこうというものです。 具象化すること、抽象化すること デザイナーにとって抽象化する力と具象化(具体化)する力を兼ね備えている(もしくはきちんと意識している)というのはジャンルに限らずすごく大事だと思っていたりします。 まあすごく雑にいうと「ふわっとしたものの質を捉え(抽象化)、目に見える形にする力(具象化)」を持っている、みたいなかんじでしょうか。 具象化する力 こちらは比較的わ

    デザイナーは抽象と具象の間を這いずり回る - not simple
    japanitnt
    japanitnt 2016/09/23
  • 伊勢志摩サミットのロゴについて思うこと、あるいはデザインの死。 - not simple

    www.asahi.com 僕はこのロゴマークを、デザインとしての好き嫌い(Feeling)、正しさ(Logic)、双方の観点から認めることができません。東京五輪のそれについては、好きではないけれど、デザインとしての正しさはまだあったと思います。東京五輪の時には選考のプロセスについて問題になっていましたが、プロセスが正しくても、アウトプットが正しくなければ意味がない。仮に世界に存在するすべてのもののデザインの品質に平均値があるとして、これはその平均値を著しく下げてしまうとすら思っています。 なぜそう思うのかというと、論点は二つあって、デザインの目的の不明瞭さとデザインとしての稚拙さがあると思っています。 デザインは手段であって、デザインが施される全てのことやものには、なにがしかの目的があるはずです(それが顕在化しているか否かは置いておいて)。以前五輪のロゴについて書いたときに、「一般公募で

    伊勢志摩サミットのロゴについて思うこと、あるいはデザインの死。 - not simple
    japanitnt
    japanitnt 2015/12/30
    伊勢志摩サミットのロゴについて思うこと、あるいはデザインの死。 - not simple: 2015 - 12 - 30 伊勢志摩サミットのロゴについて思うこと、あるいはデザインの死。 デザイン…
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