[ CRITIQUE ] そこには「踊り」はあるが「動き」はなかった 勅使川原三郎『Absolute Zero 1999』 フォーサイスの舞台には「動き」はあるが「踊り」はなかった、 という田中泯のコメント(朝日新聞)に対し、浅田彰がすこぶる 痛快な批判を書いている。浅田は、田中の考えるような「踊り」 とは、田中自身が言うように「ダンサーの身体に自分が入ってい く」ことが出来るような、つまり感情移入できるようなロマンテ ィックな同一化の対象のことであり、フォーサイスの舞台にその ような意味でのダンスがあるわけがない、と切り捨てるのであっ た(『批評空間』�-22)。 ダンスとは、一義的には「徹頭徹尾、運動」である他ない。情 動=エモーションは運動=モーションによって起るのだから。し かし実際は、そういう前提はこの国のシーンにおいては通用しな いようだ。人はダンスに何を見ているのだろうか。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く