新潟地震(にいがたじしん)は、1964年(昭和39年)6月16日13時1分40.7秒(JST)に、新潟県の粟島南方沖約40km(北緯38度22.2分 東経139度12.7分 / 北緯38.3700度 東経139.2117度 深さ34km)を震源として発生した地震である[2]。地震の規模はM7.5(Mw7.6)[1]。 日本の歴史上、最大級の石油コンビナート災害をもたらした地震で、化学消防体制が脆弱な時代背景もあり[注 1]、143基の石油タンクが延焼し、その火災は12日間続いた[3]。以後、石油コンビナート防災の指標の一つとなっている[4]。そして、この地震を機に住宅地や工業地帯の液状化現象への本格的な研究が始まった[5]。また、日本で地震保険ができる直接的な要因となった震災としても知られ、この2年後、1966年(昭和41年)に地震保険制度が誕生した[注 2]。 尚この地震は、そのほと