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内田樹と合気道に関するjiangmin-altのブックマーク (3)

  • 内田ジュ先生の最終講義 - jun-jun1965の日記

    『文學界』4月号に内田ジュ先生が60歳で定年前に神戸女学院大を辞めるというので最終講義が載っている。何たる華々しさであろうか。 何か、さしさわりのあることも書くなどと言っておいでだったが、別にそんなものはない。温情で学生を卒業させてやったとかいう話があるくらいで、この程度で「さしさわりがある」のであれば、私に大学教員が務まらないのも無理はないと思った。 が、ジュ先生は21年前、というから39歳の時ですね、神戸女学院に就職するにあたって、傷害事件の類を起こすことを懸念し、なるべく家から出ないようにした、と書いておられる。自動車通勤し、家と大学と道場を移動するだけだった、という。人通りのあるところを歩くと喧嘩沙汰になるからということのようだが、梅田や三宮には月に一回くらいしか行かないというが、それだけ行ってりゃ十分でしょ。それにインドネシアへも旅行しているし、飛行機での移動なんて特にカリカリし

    内田ジュ先生の最終講義 - jun-jun1965の日記
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2011/03/07
    "大学では優しくされた、という風に書いていて、赴任するなり恫喝を受けた私が読むと自分がかわいそうで涙ぐまれる。ホントーに神戸女学院ってそんなにいいところなのか。まあ、武道家だから、からんでくる奴もいな"
  • 団体行動のすすめ - 内田樹の研究室

    「多田塾甲南合気会上半期結婚披露宴3次会」というものが開催される。 春先から 7 月にかけて高取くん金子さん、くうさん、ヤベッチと3組の結婚式が続いたので、個別的に祝賀会をやっていると幹事が疲れちゃうということで、「まとめてやる」という手荒な英断を私が下したのである。 その後、去年の夏の亀ちゃんの祝賀会も会ではやってなかったよね・・・ということを思い出して、現在妊娠6ヶ月の亀ちゃんご夫(いまは小林さん)も加えてまとめて4組の合同祝賀会というものを開催したのである。 集まった同門の諸君、その数 60。 仕切りはいつものように、谷口さん、谷尾さん、清恵さんの「事務方の大人の人たち」。あと東沢くんとおいちゃんがお手伝いをしてくれました。 会場は国分さんのご紹介(シャンペンの差し入れも〜)。 みなさん、どうもありがとう。 こういう団体行動をてきぱきとこなす、というのは実はたいへん武道的なことなの

    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2010/09/05
    "「見取り稽古」というのは、すぐれた術者の動きをただ見ているだけの稽古のことであるが、これはなまじばたばた走り回って大汗かいて稽古するよりもはるかに術技の上達に資する"
  • 東京と私 - 内田樹の研究室

    東京新聞に「わが町、わが友」という6回連載エッセイを書いた。 思い出に残る東京の町について書いてくれと頼まれた。 東京新聞だと、読んでいる人は限られているので、ブログで一挙公開することにした。 どぞ。 下丸子(1) 私は東京生まれだが、20 年前に東京を離れ、以後ずっと関西在住である。もちろん、今も東京にはよく行く。母や兄や娘が住んでいるし、友人たちも大勢いる。でも、「東京に帰る」という言い方はもうしない。関西に引っ越してきてから、しばらくは「東京に帰る」という言葉に実感があった。多摩川の鉄橋を渡るときには「故郷に戻ってきた」という気がした。だが、あるとき電車で西に向かっているとき、夕陽を背にした六甲の山並みのシルエットを見て「ああ、もうすぐ家だ」と思ってほっとしたことがあった。その瞬間に東京は「私の街」ではなくなった。 このコラムで私が語るのは「かつて『私の街』であった街」についての回想

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