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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (637)

  • 人の童貞を笑うな - jun-jun1965の日記

    『文學界』五月号の、村上春樹『騎士団長殺し』(私は読んでない)を論じた山崎ナオコーラの文章に、こんなパラグラフがある。 (ところで、村上作品を嫌う人の中に、「セックスシーンが多過ぎる」「主人公がこんなにモテるわけがない。リアリティがない」と批判をする人がいる。私はこういった批判に反駁したい。そもそも、村上は現実ではあり得ないことばかりを描いている。それなのに、なぜ、セックスシーンにだけリアリティを求めるのか。こういった批判をヒステリックに行っている人たちは、もしも、作中に「モテないので、四十歳までセックスをしたことがなかった」という男ばかりが出てきても、「どんなにブサイクでも、大概の人にそういう機会は訪れてしまうものだ。リアリティがない」ときちんと怒るのだろうか。女性キャラクターがセックスしまくっていても、「こんなにモテるわけがない」としっかりと憤るのだろうか。おそらく、しないだろう。「主

    人の童貞を笑うな - jun-jun1965の日記
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    jiangmin-alt 2017/04/11
    “「村上は現実ではあり得ないことばかりを描いている」ということもない。『風の詩を聞け』『ノルウェイの森』『国境の東、太陽の西』などは普通にリアリズムである”
  • 三愛新書 - jun-jun1965の日記

    「三愛新書」という謎の新書がある。判型は新書に違いないのだが、200pあるかないかで、題名は「人間と文化 教養講演集」で、それが1からずっと続いている。それ以外のものもあるようだが、非売品らしいから書店で見ることはなく、まれに古書店で、絶対売れないという状態で置いてある。四人くらいの文化人の講演を書き起こして集めたものらしく、81まで出ている。 http://san-ai-kai.jp/ ここで出していて、関係会社の社員に配られているのだろう。2015年で休刊になった。 1988年正月に芳賀先生宅に行った時、これを一冊もらった。要らなかったのだろうが、中には芳賀先生宛の手紙がはさまっていて、何か書いてほしいというような編集者からのものだった。たぶん郵送されてきたのだろう。

    三愛新書 - jun-jun1965の日記
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    jiangmin-alt 2017/04/09
    水着の店じゃなかった…
  • 告白の代償(5) - jun-jun1965の日記

    私は、追い詰められた気分になった。そして、遂に「あれ」を持ち出そうと考えたのである。自分にも同性愛者の友人がいる、ということを言って何らかの防御にしようとしたのである。 九〇年代、米国あたりの、いわゆる「現代批評」系の学術会議では、こういう滑稽な風景がよく見られた。白人の男で異性愛者であるお前が、たとえ正しくともそういうことを言うのは許されない、と「糾弾」にあった学者が、懸命に、母方の祖母はユダヤ人で、となんとか自分の「弱者」性をアピールしようとする、というようなバカバカしい政治的パフォーマンスをしたりするのである。 私の頭は怒鳴り続ける伊藤悟のためにぼうっとなり、頭の中で、前に書いたような事情にもかかわらず、記憶の混淆が生じ、機会を与えられると、次のようなことをしゃべりはじめたのである。 「さっき伊藤さんがテレビのお笑い番組の話をしましたが、だいたい人というのは、集まってテレビを観たりす

    告白の代償(5) - jun-jun1965の日記
  • 丸山健二よ - jun-jun1965の日記

    大学院生の頃だったか、実家の近くの古書店へ行ったら、文学青年崩れみたいな男が店主と話していて、男は、丸山健二って知ってますか、長野にいて・・・などと言い、尊敬しているみたいなことを言っていた。 丸山自身、芥川賞受賞の時の騒ぎにうんざりして、以後賞の類は断っていると書いていた。ところでここに、https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%B8%E5%B1%B1-%E5%81%A5%E4%BA%8C/e/B004KYSHR0/ref=dp_byline_cont_book_1 「1973年「雨のドラゴン」第 9 回谷崎潤一郎賞候補作になるが辞退 1976年「火山の歌」第 12 回谷崎潤一郎賞候補作になるが辞退 1987年「月に泣く」第 14 回川端康成文学賞候補作となるが辞退」 とあり、ウィキペディアでは「受賞を辞退」と誤記されている。 だが、候補を辞退したなら、候補作として

    丸山健二よ - jun-jun1965の日記
  • ■ - jun-jun1965の日記

    川端康成詳細年譜 作者: 小谷野敦,深澤晴美出版社/メーカー: 勉誠出版発売日: 2016/08/31メディア: 大型この商品を含むブログを見る訂正 421p 勅使河原蒼風の没年が?になっているが1979年

    ■ - jun-jun1965の日記
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    jiangmin-alt 2016/08/21
    "421p 勅使河原蒼風の没年が?になっているが1979年"
  • 栗本慎一郎の小説 - jun-jun1965の日記

    慎一郎には、小説が一冊ある。『反少女』という。 http://www.homopants.com/info/books2.html ウェブサイトでは「謎の処女小説」とあるが、栗小説を書いた最初は、1984年2月『野性時代』の「敵意」で、次に5月に「紐育の少女 小説・林真理子」を書き、9月に「白雨の少女 小説・林真理子パート2」、そして85年3月に「反少女」という流れである。 栗は80年12月に一般書『幻想としての経済』を刊行、当時39歳で、これが話題になってじわじわメディアに進出、81年4月には『パンツをはいたサル』をカッパ・ブックスから出して一躍知識人社会の有名人になる。私は予備校生から大学生になったころで、実はろくに読みもしないで、栗慎一郎が、とか言っていた。 84年5月には『幻想としての経済』が角川文庫に入り、これは買った。同じ月、筒井康隆の『虚航船団』が刊行され、「面白

    栗本慎一郎の小説 - jun-jun1965の日記
  • ■ - jun-jun1965の日記

    斎藤美奈子は『趣味読書』(2003)で、普段からを読んでいる人などというのは、国民のごく少数派なのだと書いていて、私は目ウロコで、それ以来、百万部売れても日人全体の一パーセントだと言い続けている。 ところがその斎藤が『週刊朝日』で柄谷の『憲法の無意識』を評して、憲法関連のが売れているがこれも国民の無意識かなどと書いている。樋口と小林節のが六万部とかあったが、そりゃ国民の0.06パーセントでしかないのである。『カエルの楽園』は二十万部超えている。 駿馬も老いては駑馬に劣るか。

    ■ - jun-jun1965の日記
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    jiangmin-alt 2016/06/23
    だいたい3万人だと栗本さんは90年代に書いてる→"普段から本を読んでいる人などというのは、国民のごく少数派"
  • ■ - jun-jun1965の日記

    ツイッターでどこかの学者らしい人が書いていた、子供向け伝記なのに野口英世の濫費を描いたものというのは、福和すみえ『この人を見よ!歴史をつくった人びと伝 野口英世』(ポプラ社、2009)であろう。なお表紙の著者は「プロジェクト新・偉人伝」で、福和の名は奥付に小さく出ているだけである。 「花の東京へ! めくるめく青春の日々」の章で、 しかし、このあたりから清作の生活に変化が出てくるのです。 始まりは、試験が終わってホッとし、ついネオンに目が行ったことでした。吸いこまれるように入った店では、夢のようなひとときが待っていました。初めて会う清作にやさしくしてくれるお姉さん。グラスに入ったお酒。(略)それからのことは…・・・、あまり覚えていません。気づけば下宿に転がっていました。ガンガンする頭で財布をのぞくと、なんとカラっぽ。 というあたりだろう。

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    jiangmin-alt 2016/06/21
    "ツイッターでどこかの学者らしい人が書いていた、子供向け伝記なのに野口英世の濫費を描いたものというのは、福和すみえ『この人を見よ!歴史をつくった人びと伝 野口英世』(ポプラ社、2009)であろう。"
  • ■ - jun-jun1965の日記

    一か月ほど前に届いたシンポジウム記録『ポストモダンを超えて』のあとがきで、編者の三浦雅士は、チョムスキーについて、ヒト誕生から十万年で言語の獲得などという進化論的突然変異が起こるのはおかしいと書いていて、むしろマイケル・トマセロらの仮説のほうが説得的だと書いていたのだが、先日の「毎日新聞」の、チョムスキーへのインタビューの書評では、ほぼチョムスキーに軍配をあげた形で、六万年前の突然変異を紹介している。 しかし突然変異は、集団に起こるものではなく個体に起こるものだから、チョムスキーは同書で、その個体の子孫が言語を獲得し、出アフリカを起こしたのだと言う。すると、突然変異を起こさなかったほかの人類は、要するに滅びてしまった、ということでいいのだろうか。

    ■ - jun-jun1965の日記
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    jiangmin-alt 2016/06/21
    "すると、突然変異を起こさなかったほかの人類は、要するに滅びてしまった、ということでいいのだろうか。"
  • 修士論文を本にした例 - jun-jun1965の日記

    東大比較文学) 平川祐弘『ルネサンスの詩』内田老鶴圃 1961 のち講談社学術文庫 脇明子『幻想の論理」講談社現代新書 1974 四方田犬彦「空想旅行の修辞学」(七月堂)1996(あとになって) 西成彦『個体化する欲望 ゴンブロヴィッチの導入』朝日出版社、1980 福田真人『結核という文化―病の比較文化史』 (中公新書)2001(あとになって) 岸田俊子(エリス俊子)「萩原朔太郎」(沖積舎)1986 佐藤宗子「『家なき子』の旅」(平凡社 1987 佐伯順子『遊女の文化史』中公新書、1987 加藤百合『大正の夢の設計家』朝日選書、1990 劉香織『断髪』朝日選書、1990 小谷野敦『八犬伝綺想』福武書店、1990 松居竜五『南方熊楠一切智の夢』朝日選書、1991 崔官『文録慶長の役』講談社選書メチエ、1994 寺尾紗穂「評伝川島芳子」(文春新書)2008 (付記)村上陽一郎『ペスト大流行』

    修士論文を本にした例 - jun-jun1965の日記
  • 黙殺という武器 - jun-jun1965の日記

    江藤淳が自殺した時、学生が「上野千鶴子が何て言うか」と言い、私が「何も言わないに決まってるだろう」と思ったことは『江藤淳と大江健三郎』にも書いたし、それ以前にも書いた。 それでもまだ、『江藤淳と大江健三郎』について、大江がどう反応するか、などと書いている人がいるのを見ると、みんな純朴なんだなあ、と思う。何も言わないに決まっているだろう。社会的地位のある人には「黙殺」という最強の武器があるのだ。 (小谷野敦) 黙殺―ポツダム宣言の真実と日の運命〈上〉 (NHKブックス) 作者: 仲晃出版社/メーカー: 日放送出版協会発売日: 2000/07メディア: 単行 クリック: 8回この商品を含むブログ (2件) を見る

    黙殺という武器 - jun-jun1965の日記
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    jiangmin-alt 2015/10/24
    "社会的地位のある人には「黙殺」という最強の武器があるのだ。"
  • 文壇構成員 - jun-jun1965の日記

    十月から東工大教授になった磯崎憲一郎が、文壇は四十人から五十人で構成されていると言う(『週刊文春』9月17日号)。そこでその四十人くらいを特定してみた。 (藝術院会員級)(あまり実権はなし) 黒井千次 津村節子 曾野綾子 五木寛之 三浦雅士 竹西寛子 村田喜代子 池澤夏樹 高樹のぶ子 松浦寿輝 筒井康隆 (芥川賞選考委員引退級) 村上龍 宮輝 堀江敏幸 (芥川賞選考委員) 山田詠美 川上弘美 小川洋子 島田雅彦 奥泉光 吉田修一 平野啓一郎 (野間文芸賞級) 佐伯一麦 町田康 多和田葉子 保坂和志 笙野頼子 高村薫 松浦理英子 (谷崎賞級) 高橋源一郎(朝日系) 江國香織 絲山秋子 長嶋有 星野智幸 磯崎憲一郎 川上未映子 金原ひとみ 津村記久子 (大衆文学系重鎮) 北方謙三 林真理子 浅田次郎 宮部みゆき 宮城谷昌光 東野圭吾 角田光代 京極夏彦 (多数受賞級) 中村文則 伊藤比呂美

    文壇構成員 - jun-jun1965の日記
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    jiangmin-alt 2015/10/20
    "十月から東工大教授になった磯崎憲一郎が、文壇は四十人から五十人で構成されていると言う(『週刊文春』9月17日号)。そこでその四十人くらいを特定してみた。"
  • 「だれ」と「たれ」 - jun-jun1965の日記

    昔「中学生日記」の冒頭で、女の教師が黒板に「誰れですか」と書いたら、生徒が「先生、それじゃ『だれれ』じゃないですかあ」と言ったから、教師は「誰がために鐘は鳴る」と書いた。すると生徒は「先生、それじゃ「たれ」じゃないですかあ」と言い、教師が何か言うと、「先生、そういうの屁理屈って言うんじゃないですかあ」と言って生徒らが爆笑するというシーンがあった。当時私は大学生だったんじゃないかと思うが、この中学生らにむかむか腹が立ったものだ。 さて『江藤淳と大江健三郎』のレビューで、 http://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2MREHV6PV5SIJ/ref=cm_cr_pr_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4480823786 けっこう文学的素養のある人だと思っていたが、 「たれであるか」を誤記だと思っている。 そういえば、大江は生きているから

    「だれ」と「たれ」 - jun-jun1965の日記
  • ■ - jun-jun1965の日記

    自著が出ると幾人かに寄贈する。一時、寄贈のための出費で印税が半分以上消えたことがあったので、最近は控えめにしている。だいたい固定している人と、そのの性質、ないしそのについて世話になった人に贈っている。メールや手紙やはがきでお礼を言ってくる人はだいたい三分の二、中にはメールが通じているのに郵便で送る人もいれば、ツイッターで言及するだけという人もいる。 最初のを出した時は、何も言ってこないような人に腹が立って、当時の手帖にそいつらの名前が列挙されて「なんだこいつら」などと書いてある。だが何冊も出すうちに、別に気にならなくなった。 私のところへ来るでも、まあ目を通すのは、自身の関心に関わる場合、好きな作家の場合である。時には、私の指向性とはまったく関係なしに編集者が送ってきて「乞御高評」なんてスリップが入っていたりする。 まあ、特にこういうに関心がないだろうという人に送って何も言ってこ

    ■ - jun-jun1965の日記
  • チラシ入れると訴えるぞ - jun-jun1965の日記

    久しぶりに実家へ行ってきたが、郵便受けがチラシだらけである。これは今後苦情を言って、それでもやめなければ訴えるしかないと思った。だいたい実家は人が住んでいないからゴミ処理ができないのである。 - 大佛次郎を「だいぶつじろう」と読んだ東大生がいたが、富家素子『童女のごとく 母円地文子のあしあと』には、円地与四松が、大佛次郎は大仏のそばに住んだから大佛次郎としたので、だいぶつ次郎が正しいと言っていたという。 このには、安倍洋子のことも出てくる。戦争中、衣類の配給切符を出すのが一ヶ月遅れたことがあり、それは岸信介の娘が適齢期だったので、衣装を整えてから出したというのだ。だが、洋子が安倍晋太郎と結婚したのは戦後1951年で、これは何かの間違いだろう。現に与四松の飛行機工場から飛行機を軍に献納する式があり、小学校一、二年の素子と岸洋子とが花束を贈呈したという話が出てくる。

    チラシ入れると訴えるぞ - jun-jun1965の日記
  • モデル小説でウソを書いてはいけない - jun-jun1965の日記

    昨年6月11日のことである。小林拓矢からの紹介だと言って、某出版社の若い編集者から企画の打診があった。渡辺淳一論を書いてほしいというのである。私はそれ相応に関心があったので、18日に編集者と浜田山で面談し、書く方向で話は進んだ。編集者は、社内で調整する、と言って帰っていった。 ところが、なかなか連絡が来ない。八月八日、私は編集者に、まだですか、企画が通らなかったのですかとメールをした。すると、 企画としてダメだったということではなく、 周囲に理解してもらうための材料集めがまだ準備不足ではありまして 何とか今月末から来月にかけて企画承認を得られればと考えております。 申し訳ございませんが、もうしばらくお待ちいただければ幸いです。 (もし企画として通らなかった際も、その旨はご連絡させていただきます) もし先生のほうでざっくりと考えている構成案等ございましたら お教えいただければ有り難く存じます

    モデル小説でウソを書いてはいけない - jun-jun1965の日記
  • ■ - jun-jun1965の日記

    「モデル小説でウソを書いてはいけない」というのを書いたが、あのタイトルは分かりやすくしただけで、たとえば名前を変えるのは当然として(ただし檀一雄の『リツ子』のように実名でも小説にはなる)、場所を変えるとか時間をずらすとかいうのはありうる。つまり他人をモデルにして、その人を実際より悪く書くというのが、やってはいけないことなのである。これまでモデル小説問題というのはいくつもあったが、それをやった小説というのは私の知る限りない。車谷長吉のケースがあるが、これはモデルとされた斎藤慎爾が説明せず提訴し、和解した上、車谷が名前だけ変えてそのまま単行に入れたりしたため、わけが分からなくなっている。 なお前回の「ウソ小説」は、八月八日に、企画が通らない、ということで私が業を煮やして、やめにしようと言ったのだが、小林としては、まだがんばれば企画が通ると考えていて、そこで降りる私に不満を感じた、ということを

    ■ - jun-jun1965の日記
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    jiangmin-alt 2015/08/26
    "「モデル小説でウソを書いてはいけない」というのを書いたが"
  • 小説で雨が降る - jun-jun1965の日記

    大学時代、「児童文学を読む会」で宮澤賢治の「ポラーノの広場」をとりあげた読書会があったのは1984年5月10日、私が英文科に進学したばかりの時である。間違えて戯曲「ポランの広場」を読んできた人もいた。出題者(レポーター)は今名古屋大教授のフィンランド語学者になっている佐久間君。 途中、いま愛知県の理系国立大の教授になっているI氏という、宮澤賢治がやたら好きだった人が、ぺらぺらっと何かしゃべってから、「これ、雨降ってないでしょ」と言った。I氏は、何かすごい人だと思われていたし、みな、何か深いことを言われたように思って、「おおー」というような声にならない声があがった。 しかし、小説で雨が降るというのは、事実に基づいていてその時雨が降っていたとか(『彼岸過迄』とか)、雨に濡れながら明石屋さんまが「あんたが好きなんや」と言うとか男女のあれこれを効果的にするとかあるが、時には250枚くらいの作りもの

    小説で雨が降る - jun-jun1965の日記
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    jiangmin-alt 2015/08/26
    "大学時代、「児童文学を読む会」で宮澤賢治の「ポラーノの広場」をとりあげた読書会があったのは1984年5月10日、私が英文科に進学したばかりの時である。間違えて戯曲「ポランの広場」を読んできた人もいた。"
  • 一人芝居 - jun-jun1965の日記

    『このミステリーがひどい!』に出てくる中学時代の同級生で「マゴベエ探偵団」の録音を渡してきた男とは、教育実習で一緒になった。彼はどこの大学だったか、國學院とかそんな感じで、国語の教師だった。彼は大学で演劇活動をしていて、それは中学時代からは想像できないことだったのだが、北村想がいい、と言っていた。私と彼は女子だけのその中学の演劇部へ出入りして、彼は熱心に指導していた。そして彼は、最後はみなに一人芝居をやってもらいます、と言った。 しかし、中学生にいきなり一週間くらいで一人芝居をやれというのは無理な話でそれはなしになったのだが、彼がそう言うのを聞いた私は、その晩、突然一人芝居のシナリオを思いついたのである。えっ、できたよ、これ、俺ってすごいんじゃないか、などと思ったのだが、結局やらなかったわけで、書くこともなかったのだが、あとで考えたら井上ひさしの「化粧」の真似みたいなものだった。

    一人芝居 - jun-jun1965の日記
  • 正かな正漢字で書かないわけ - jun-jun1965の日記

    http://yondance.blog25.fc2.com/blog-entry-4227.htmlの山」の土屋君が私の恥ずかしかった話を書いてくれているから、サービスしてもう一つ恥ずかしかった話。 私が進学した大学院は「右翼」教授が牛耳っており、中に小堀桂一郎先生がいた。小堀さんは正かな・正漢字を使えと言う人で(なおこれを旧かな旧漢字と呼ぶのは間違いである)、私はこれに媚びようとして、比較文学では入試の時に20枚ほどの小論文を提出するのだが、それを正かな正漢字で書いて出した。それだけでも恥ずかしいのだが、レポート類でもこれをやって、阿部良雄先生にもそういうレポートを出した。 しかも私はその頃西部さんに心酔していて、西部さんと一緒に朝日新聞で書評委員をしていた中沢新一のひらがなだらけの文章をかっこいいと思っていたから(もうめちゃくちゃ恥ずかしい)、そういう文体で書いて出した。すると

    正かな正漢字で書かないわけ - jun-jun1965の日記
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    jiangmin-alt 2015/08/24
    "実をいえば、正漢字正かなが正しいのである。私が正かな遣いで書かないのは、こういう恥ずかしい若気の至りの過去を経過して、なのであった。"