タグ

ブックマーク / blog.livedoor.jp/jijihoutake (218)

  • だまし絵空間の家畜 : 竹原信一のブログ

    2017年02月02日06:30 だまし絵空間の家畜 カテゴリ jijihoutake Comment(0)Trackback(0) 常識では、人はしたいことをするために生きていると考えられているようだ。お腹がすくとべたい。尿が溜まると排泄したい。 普通の彼らは言う。「したいからするんでしょう。」 しかし、人はしたくないことをする。それでもやったことだから人の考え、人の欲求だとされる。 人は無自覚に、あるいは自覚してたくらみをする。大きな快楽のために小さな快楽を我慢する。我慢してみせる。人を捕するため、人を利用するためだ。 この様な態度で生きている人間が大勢いる。社会全体の仕組みがそのようになっているかもしれない。 もううんざりだ。 身体の衝動を継続的に満たすために行動目的が生まれるという普通の考えを私は受け入れることができない。自分を嫌う自分であり続けようと思う。人に好かれる努力

    だまし絵空間の家畜 : 竹原信一のブログ
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2017/02/02
    “人はしたくないことをする。それでもやったことだから本人の考え、本人の欲求だとされる。”
  • 日本人の不幸 : 竹原信一のブログ

    2017年01月01日05:57 日人の不幸 カテゴリ jijihoutake Comment(0)Trackback(0) 日人は国家を利用するヒモのために体も心も売ってしまう娼婦。脳まで梅毒におかされている。 脳梅毒におかされた日社会は生命力を失った。人口減少が止まらない。年寄りたちが死ぬまで夢や希望を追いかけ続ける。若者を奴隷に使うためのカネが欲しい。 日人が病んでいる脳梅の特徴的な症状。「ひとりでは何もできない」と考え、その様な生き方をする事。人に使われる不幸と、不運な人を使う不幸の悪循環に陥った人生を送る。自由に生きる事が人を幸福にするのをまったく理解できない。究極の不幸とはこの事だ。 カテゴリなしの他の記事

    日本人の不幸 : 竹原信一のブログ
  • 苦悩からの解放 : 竹原信一のブログ

    2017年01月01日06:01 苦悩からの解放 カテゴリ jijihoutake Comment(0)Trackback(0) 主義は形に合わせる事を意味する。自由は拘束からの解放なので自由主義とは自由を偽装する事だ。権力のために「自分は自由主義だ」と言わねばならない。民主主義も同じで「国民に対する権力の優越は国民の選択だ」と言わねばならない。自由主義と民主主義を合わせた自由民主主義とは、自由と民主の偽装を国民ひとりひとりに強要した国家体制を作ることになる。それが今の日。言葉の無理解が人間をゆがんだ状態にし、デタラメが横行する日にした。自由民主主義は明らかなペテンである。人間たちの知性や理性がその程度ということだ。人びとは物事に対する反応の癖を生きている。反応の癖に拘束されている。習性の奴隷だ。先ず、その事に気付いてほしい。自分が拘束されている自分の習性をとことん見つめ、その愚かさに

    苦悩からの解放 : 竹原信一のブログ
  • 文明は五感を超えている : 竹原信一のブログ

    2016年12月17日07:17 文明は五感を超えている カテゴリ jijihoutake Comment(0)Trackback(0) 数学は五感を超えている。しかし直観や第六感などとはかなり異質だ。数学は物理法則の理解と共に人間の実生活に活用されてきた。論理空間の現実性はもはや誰にも否定することが出来ない。しかし、日人は体感的に理解していない。日人のほとんどが論理的ではない。恥ずかしながら日社会はいまだ文明に届いていない。日教育教育になっていない。日の感情や五感のための教育が人間の進化を妨害する障壁になっている。 日では人間は五感の動物、感情の動物などとされている。五感や感情で知覚しなければ現実として受け入れることが出来ない。この状況は未開の土人と変わらない。日社会は幼稚すぎる。幼稚なのに大変に器用だ。だから自分たちの幼稚さに気付くことが出来なかった。云わば、足し算が

    文明は五感を超えている : 竹原信一のブログ
  • 嘘を吸って育ち、嘘を吐いて生きながらえるー日本人の人生 : 竹原信一のブログ

    2016年12月15日06:15 嘘を吸って育ち、嘘を吐いて生きながらえるー日人の人生 カテゴリ jijihoutake Comment(0)Trackback(0) 日教育は兵隊や労働者を作る目的で始められた。民衆を手っ取り早く調教するシステムが考えられた。為政者は「子供や大衆は何も知らないし分かっていない。飴とムチなを使い分けながら権力構造を作れば自ら進んで兵隊になる。名声や勲章をでっちあげる事で簡単に社会づくりをすることが出来る」 その様に考えて実行してきた。 すなわち日教育目的は社会構造の強化である。教育の中身はほとんど問題ではない。「優秀」なこどもは良心の呵責なしになんでも嘘を受け入れ嘘を吐く。やがて「優秀」な大人になって嘘の大量生産に加担する。そのご褒美が勲章だ。人が自覚しているか無自覚かは問題ではない。大衆が憧れさえすれば勲章を出す側の成功なのだ。 カテゴリなしの

    嘘を吸って育ち、嘘を吐いて生きながらえるー日本人の人生 : 竹原信一のブログ
  • 商売の政治ー日本人はアタマがおかしい : 竹原信一のブログ

    2016年12月14日02:39 商売の政治ー日人はアタマがおかしい カテゴリ jijihoutake Comment(1)Trackback(0) ほとんどの日人は政治を商売と同程度に考えている。政治家が社会秩序の根幹を担う存在だとは誰も思いつかない。アタマのどこかで知ってはいてもその重大さをまったく認識していない。政治家には自覚も知識もない。日政治家に道理の通る社会づくりや、正義感など求める方がまったく間違いなのだ。 「政治とカネの問題」などと言うが、そもそも日人は「政治はカネ」としか見ていない。市民にカネを持ってくるのが政治家の役目と信じて疑わない。金儲けをさせてくれる政治家を求める。あるいはカネの不平等を解消してほしいと投票する。結局、 政治家は税金のつまみい係。商売に失敗したような人間ばかりであつかましい。政治権力で商売しようと思っている。日政治的に超4流国家だ。

    商売の政治ー日本人はアタマがおかしい : 竹原信一のブログ
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2016/12/14
    "ほとんどの日本人は政治を商売と同程度に考えている。政治家が社会秩序の根幹を担う存在だとは誰も思いつかない。"
  • なぜ、日本には人を育てる力がないのか : 竹原信一のブログ

    2016年10月19日06:13 なぜ、日には人を育てる力がないのか カテゴリ jijihoutake Comment(0)Trackback(0) 日の人口が減り続けている。その一方では長生きするようになった。生まれなくなったということだ。そして40歳以下の日人は将来、年金を受け取ることが困難だという。 日に生まれれば困難な一生を過ごす。「それぞれが頑張れ」などと言うが、頑張る事で競争が激化すれば大金持ちも出るかもしれないが、悲惨な状況の人が増える。人びとは政治が原因だと言う。当だろうか。そもそも政治が何かを分かっているのだろうか。 日人は自分の事が分かっていない。生きざまが自分であり、社会であり、その結果が政治だ。人びとはカネや自分のために他人を利用しようとする。その方法として選挙をする。ほとんどの日人は人を生かし育てようと生きてはいない。自分の生きざまが汚いのに政治権力

    なぜ、日本には人を育てる力がないのか : 竹原信一のブログ
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2016/10/20
    “人間性が悪いから社会が悪くなり、人口も減っている。”
  • 悪の正体 : 竹原信一のブログ

    2016年10月16日06:40 悪の正体 カテゴリ jijihoutake Comment(0)Trackback(0) 生き物は自己や種を存続させ増やそうとする。増殖のために他の種をべたり、共いをしたり、寄生したり、共生したり、種を残して自らは死んだりもする。そこには善も悪もない。生命現象があるだけだ。遠い将来、地球は消滅する。これは宇宙の循環原理であり、人類全体の消滅も善悪の問題ではない。 人間が単に長生きすることは善ではない。もし、年寄りが長生きしてこれから200年も生きるとしよう。若者は彼らを養うための奴隷人生を過ごすことになる。善悪は生き残りの問題ではない。善悪は感覚であり、環境によって変わる。善悪に深く絡みつくのは罪悪感だ。罪悪感を探ってみよう。 罪悪感は自己を罰する感覚だ。心の中に罰する者と罰せられる者を置き、心理的もしくは身体的な痛みを感じようとする。 人は自分の中に

    悪の正体 : 竹原信一のブログ
  • 仕事の幸福 : 竹原信一のブログ

    2016年09月12日05:28 仕事の幸福 カテゴリ jijihoutake Comment(0)Trackback(0) 役人も政治家も暗黙のおきてに縛られている。「世間体」だ。知らなくても知ったふりをせねばならない。知らないのを認めるわけにはゆかない。いつも自己防衛に必死だ。来の仕事に専念するかわりに、注意を相手との関係に向ける。 仕事質は新しいものを作る事だ。つまり新しい考え方に取り組むことだ。彼らは人間関係のおきてに強く縛られているので来の仕事ができない。 互いの顔をつぶさないよう使いまわしの作業でお茶を濁している。まったく仕事になっていない。結果的には税金の浪費を繰り返しているだけだ。やればやるほどおかしくなる。 役人や政治家が当の仕事に取り組むならば世間体を潰すのを躊躇してはならない。『自分たちは社会の現実を知らない。見ようともしてこなかった』 この現実を認めるとこ

    仕事の幸福 : 竹原信一のブログ
  • 冤罪システムと戦争 : 竹原信一のブログ

    2016年08月25日06:49 冤罪システムと戦争 カテゴリ jijihoutake Comment(1)Trackback(0) 袴田事件や志布志事件では警察と報道、裁判所が一緒になって犯罪をでっちあげた。事件を作り、無実の人を犯罪者に仕立てる事で、役人集団が儲かる仕組みになっているから冤罪事件は今後も終わらない。役人組織が国民に対して利益を確立する(国家公務員法第一条)ためには争いが必要だ。公務員(役人)集団は日常的に不安と争いを仕立てながら国民の保護者を演じる。国家は質的に冤罪システムなのである。 戦争もこのようにして作られる。ベトナム戦争のきっかけになったトンキン湾事件アメリカ軍自身によるでっちあげだった。それをマクナマラ長官も認めた。もちろん報道もウソに加担した。戦争開始には安全や国民の保護などという反対の言葉を使う。これも冤罪事件と同じ。すなわち国家は質的に戦争システム

    冤罪システムと戦争 : 竹原信一のブログ
  • 政府はもう嘘をつけない(堤未果著) : 竹原信一のブログ

    2016年07月28日07:48 政府はもう嘘をつけない(堤未果著) カテゴリ jijihoutake Comment(3)Trackback(0) 私が2年前に発見し、動画や大学の授業などで発表してきた『公務員法の憲法違反』をジャーナリスト堤未果氏が著書『政府はもう嘘をつけない』で取り上げました。 記事抜粋; 実際は竹原氏が言うように、憲法でわざわざ役割分担された3ステップを、すべて官僚たちがやっているのだ。竹原氏はそもそもこの憲法自体がゆがめられているという驚くべき事実を指摘する。 憲法が定めた「国会議員」ではない役人が、ある悪法によって国会議員と同等の「公務員」に入れられてしまったのだと、竹原氏は言う。「国家公務員法」だ。「この法律によって、国民の手でクビに出来ない官僚が、身分を保証された公務員として自分たちの利益を拡大することが正当化されてしまった。 これは大変な事です。実際には一

    政府はもう嘘をつけない(堤未果著) : 竹原信一のブログ
  • パスワード認証

  • 公務員は米軍のために国民と闘う : 竹原信一のブログ

    2016年08月12日03:02 公務員は米軍のために国民と闘う カテゴリ jijihoutake Comment(0)Trackback(0) 「職員の利益確立を根基準とする。(国家公務員法)」 利益とは何でしょう。それは、他者に対して優位な地位や権利を確保すること。ですから、『すべての職務目的は職員の国民に対する利権闘争』ということです。 条文の後半は、「以て国民に対し、公務の民主的且つ能率的な運営を保障することを目的とする。」となっています。『集団主義を利用しながら闘争効率も確保する』という意味です。 戦後の日社会の基構造を米軍が形作りました。7年間の占領統治の間、厳しい言論統制を敷きながら、公務員法を整備して、日の役人組織が国民に戦いを仕掛けるようにしたのです。役人の立場を、国民を常に利用監視する身分にする事で、将来的にもアメリカの支配が確保される国家システムを作り上げまし

    公務員は米軍のために国民と闘う : 竹原信一のブログ
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2016/08/15
    "真に怯えるべきは法律だ。法の前に人は無自覚になる。無自覚な忠誠心は人を悪魔にする。法が人を悪魔にする。"
  • 政治家が役人の犬になる仕掛け 人事院 : 竹原信一のブログ

    2016年05月25日08:28 政治家が役人の犬になる仕掛け 人事院 カテゴリ jijihoutake Comment(0)Trackback(0) 国家公務員法によって役人が社会をいつぶすよう仕組まれている。戦前の「天皇の官吏」体制を継続させる指令センターは「人事院」である。人事院がその他の法律を超越して役人全体に国民に対する背任環境を与えている。 第1条では役人の福祉と利益を根基準とする事。効率的に国民を利用する事。公務員全体が結託することを定めている。 第18条では役人の天下りを保証するよう定めている。離職後も国民に対する背任国家の秘密を守らせるようにしたのだ。 一般企業も同様であるが、人事のあり方が組織のあり方を決めてしまう。考えてみれば選挙も人事だ。官に媚びるマスコミが政治家に対する人事権を行使する。政治家が官の犬になる仕掛けだ。 国家公務員法 第十八条の五  内閣総理大臣

    政治家が役人の犬になる仕掛け 人事院 : 竹原信一のブログ
  • 罪悪感牢獄からの自由 : 竹原信一のブログ

    2016年05月18日06:57 罪悪感牢獄からの自由 カテゴリ jijihoutake Comment(0)Trackback(0) 日人は罪悪感に追い立てられている。多数決を民主主義と呼んだり、『公的』の根拠が無自覚役人集団の手続きになったことから、自分の良心や正義感に従うのを「わがまま勝手」とする癖をつけてしまった。 「みんなに認められれば、あるいは一般人にバレなければ何をやってもいい。組織や集団のためにおのれを空しくするのが美学」とまで考えるようになってしまった。 日人には集団主義を超える良心がない。 世間や集団の期待に沿わない事に強い罪悪感を感じるようにしつけられている。 だから日人集団はたいへん危険だ。臆病で卑怯だ。一人ひとりが空しいヌケガラになったヌケガラ集団なのである。 集団への罪悪感を見つめなければならない。論理を杖にして、集団意識から自らを解き放つ旅に出なければな

    罪悪感牢獄からの自由 : 竹原信一のブログ
  • 形式教育から良心教育へ : 竹原信一のブログ

    2016年04月29日04:07 形式教育から良心教育へ カテゴリ jijihoutake Comment(0)Trackback(0) 日教育は形式的です。役人による教育であり国家の強化を目的にしています。子ども達は「勉強して偏差値の高い学校に行けば就職が有利になる」と教えられます。テストの点数が高ければ国家的な地位や世間の評価を得られる。地位やお金を得る事ができるというわけです。 実際のところ、国家は形式にすぎません。国家のための教育は形式を強化する形式教育です。日教育は形式を多く覚え、場面に応じて器用に使い分けられる人間を生産するようになっています。ですから、偏差値が高いとされる者は、概ね権威的で、強者に弱く弱者に強い、口が器用で地位とお金に強欲、立場に応じて自在に意見を変えられる、行儀が良くて良心的に見せる技術を持っているが良心を持たない形式人間が少なくありません。日の教

    形式教育から良心教育へ : 竹原信一のブログ
  • 錯乱した 「みんなの国」 日本 : 竹原信一のブログ

    2016年04月28日08:10 錯乱した 「みんなの国」 日 カテゴリ jijihoutake Comment(0)Trackback(0) みんなで考えよう。みんなが幸せになろう。みんな団結しよう。良い事を考えて良い事をすれば社会が良くなります。悪い事を考えてはいけない。言ってもいけない。人を誹謗中傷してはいけない。 中にはわがままな人がいるから警察に監視してもらいましょう。日は良い国だから国にお任せすればいいのです。私たちは幸福だけを考えていればいい。国家の邪魔をしてはいけない。国法を破ってはいけない。公務員は全体の奉仕者として頑張っています。公務員を信じましょう。公務員の言う通りにしましょう。 政治家は嘘を言い国民をそそのかします。気を付けましょう。政治家がダメだと公務員がちゃんとできません。国民が不幸になるのです。公務員が従いたくなるような政治家に投票しましょう。公務員は全体

    錯乱した 「みんなの国」 日本 : 竹原信一のブログ
  • 赤ん坊国民は権威主義者 : 竹原信一のブログ

    2016年04月27日06:02 赤ん坊国民は権威主義者 カテゴリ jijihoutake Comment(0)Trackback(0) 人は自分に都合のよいものを都合に合わせて信じる癖がある。この国ではそれを民主主義とか自由と呼んでいる。糸の切れた凧と同じで、互いに何をしでかすかわからない。その不安を抑えてくれる力が要る。日人はそれが国や法律と思っている。 重ねて言うが、集団には良心も思考もない。集団は概念であり、思考する主体ではない。 集団とは人を無自覚にする手続きに過ぎない。集団は人から責任感を奪う。 日人は見せかけに依存する癖がある。役人からもらう褒美や勲章に感激する子どもだ。 そのような調子だから、国家権力や世間体が許せば集団的に何でもやってしまう。「みんなで渡れば怖くない」 これは良く知られた日人の現実。日人は 『みんな教』 信者の赤ん坊だ。 「お役所仕事」という言葉が

    赤ん坊国民は権威主義者 : 竹原信一のブログ
  • 言葉の川 : 竹原信一のブログ

    2016年04月22日05:01 言葉の川 カテゴリ jijihoutake Comment(0)Trackback(0) 人びとは言葉をより所にしている。多くの場合、言葉を使うのではなく言葉に使われている。言葉の奴隷だ。日はそれが特にひどい。「公務員の普通選挙を保証する」「公務員の任免権は国民にある」という憲法15条から公務員政治家と気付くことができていない。全員が国家公務員法にだまされ、「役人集団が公け」と思いこむ飾りもの主権者になっている。飾りもの代表が政治家という体たらくだ。 日人は論理の技術でことばの川を泳ぐことが出来ていない。自分で泳げるようになる事さえ知らず、流された言葉にしがみつき溺れている。これが全国民のありさまだ。日人には道理が通らない。たくさん言葉を流せばそれにしがみつく溺死者だ。溺死者が民主主義=多数決と思い込んでいる。それを「おかしい」と気づくことさえでき

    言葉の川 : 竹原信一のブログ
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2016/04/24
    "政治家を含め、役所に近い立場を得た者は役所のために騒ぎを起こさないようにする。それが立場と思い込んでいる。まさに国家の犬だ。犬の地位を後生大事と務めるのである。"
  • 人はどのように狂っているのか : 竹原信一のブログ

    2016年04月24日05:19 人はどのように狂っているのか カテゴリ jijihoutake Comment(0)Trackback(0) この社会は狂っている。何かが間違っている。それが何かを見いださなければならない。答えは単純だ。私たちが狂っている。どのように狂っているのかを見てみよう。 「政治が悪い」と言われる。政治をするのは役人や政治家という事になっている。それら構成員は集団で考えている。つまり誰も考えてなどいない。集団の衝動に従い作業をこなしているだけだ。それが一生懸命であるとか、頑張っているなど社会の在り方には関係がない。驚くべきことに、自分が社会全体に対して何をやっているのかを誰も分かっていない。無思考の衝動(集団の利益と福祉)互助会が政党や役所なのだ。思考がないので正体も無く、捕まえることのできる犯人もいない。 『東大OB保守の会』の会長から聞いた。「順調に出世の階段を

    人はどのように狂っているのか : 竹原信一のブログ
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2016/04/24
    "社会の流れに器用に合わせ、正常に見える者が最も社会の狂気に加担している。普通のひとこそまったくの狂人なのである。"