公衆に関するjikkenn22000のブックマーク (3)

  • 公衆と自己統治について (備忘録) - 論駄な日々

    8月30日に総選挙が行われることが決まったが、この選挙の争点はなんだろう。自民党は「政権選択」、民主党は「政権交代」をアピールする。それはそれで国民的な関心事であろう。だが主権者が、政治家たちの権力闘争を観戦する「客」であり続ける限り、「観客民主主義」の域を出ない。選挙を自己統治への参加手段のひとつだとすれば、そこに「観客」など存在する余地はないはずだ。しかし、有権者にどこまでの政治的実践を期待できるだろうか。そして、「公衆」をどのように考えればよいだろうか。 W.リップマンは『幻の公衆』(原題:Phantom Public)で、「公衆」への悲観論を展開している。 公衆は関心が未熟で断続的であり、はなはだしい違いのみを見分け、目覚めるのに遅く注意をそらすのが速い、団結することで行為するため、考慮に値すること は何でも個人的に解釈し、出来事が対立しメロドラマ仕立てになったときにのみ関心を抱く

    公衆と自己統治について (備忘録) - 論駄な日々
  • 大衆としてのネットイナゴ - 雑種路線でいこう

    竹田陽子先生の絶賛していた『哲学する民主主義―伝統と改革の市民的構造 (叢書「世界認識の最前線」)』を探して紀伊国屋をウロウロしていたら,リップマンのがいまさら翻訳されているのをみつけて手に取った.彼の『輿論』*1は予備校時代に読んで感銘を受けたとはいえ,かれこれ80年近く前の論考だし,それほど期待してはいなかったのだが,読んで身震いした.80年前に書かれた政治評論が今なお新鮮に読めるって,すごいことだよね.というか『輿論』も『幻の公衆』も,彼の30代前半の仕事だったということに焦りを感じたりするのだが. 幻の公衆 作者: ウォルターリップマン,Walter Lippmann,河崎吉紀出版社/メーカー: 柏書房発売日: 2007/06/01メディア: 単行購入: 1人 クリック: 8回この商品を含むブログ (28件) を見るリップマンが書で書いていることは要するに大衆の総意などどこに

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  • 公衆に期待しない - 論駄な日々

    じぶんたちをじぶんたちで統治するため、わたしたちはデモクラシーという社会のルール/手続きを採用している。政府・国家の暴走を憲法によって規制し、少数の為政者ではなく総体としての国民が統治者として“君臨”するのがデモクラシーの義。だが、産業が発展し、複雑化の一途をたどり、膨大な人口をかかえる大社会(Great Society)において、公衆(Public)はホンマに“統治者”たりうるだろうか。そんな根源的な問いを、W.リップマンは1920年代に立てていた。『世論』に続いて出版された“The Pnantom Public”は公衆への幻滅を説く。修論執筆時は原著をちょびちょび拾い読みしただけだが、同志社の河崎さんの訳を読み、あらためて考えさせられた。 リップマン,ウォルター(1927=2007)『幻の公衆』河崎吉紀訳、柏書房 Lippmann, Walter (1927) "The Phanto

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