片思いは、関係性を構築できない人がいい気分になるのに適した装置だ。 見ているのは実は相手ではなく、自分の願望の投影。相手との関わりが少なく、関わりを持つための行動を決して起こさないような「恋愛」は、多くの場合、自己愛の別名だ。 相手との関わりを求めて拒絶されるリスクや、関わって傷つくリスクをとらずに、欠点さえ自分の好みであるような理想像をうっとり眺めているのは、そりゃ楽しいことだろう。よくできたコンテンツを消費するように楽しいだろう。しかもそれは無料だ。 「イデアに接続するためのプラグ」みたいにされた相手は、それを察したらきっと不快だろう、という想像力さえ、その種の人々にはない。そんな身勝手な幻想の対象にされた相手の、吐き気のする不快感を慮ることはない。察する知性が相手にあるとも思っていない。 それどころか、自分の「純粋な」思いを向けられた相手は振り向くのが当然だとさえ思っている。そうでな
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く