【それでも撲滅できないのか】(3) 江戸中期の宝永6(1709)年冬、足軽の家の6歳女児が戸外で裸のまま凍死した。実母のつるは調べに対し、「下痢症で何度言い聞かせても着物を汚すため、せっかんとして家の外へ出した。死なせる気はなかった」と供述した。関連記事「虐待大国」アメリカは介入先進国 「…しつけと虐待の線引きは? 「体罰」容…記事本文の続き 江戸時代の研究で知られる歴史学者、氏家幹人さん(55)が調べた判例集「断獄典例秘鑑」には、現代の目から児童虐待といえる犯罪記録が並んでいた。 《明和元(1764)年、3歳女児がせっかんの末に死亡した。養母のさよは「気分がすぐれないと言ってむずかるので、足をたたいたら死んでしまった」と話した》 《同じ年、別の3歳女児が親の留守中に飯びつをひっくり返した。養母のつよが腹を立て背中を数回たたくと女児は泣きながら家を出た。連れ帰って水を飲ませたがはき出してし
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