手紙を読みながら、家族皆で泣いたことも脳裏に焼き付いています。当時、10歳の姉は戻って犬の世話をすると泣きだし、2日間もご飯を食べませんでした。あれ以来、我が家の誰もが、犬を飼うことがありません。 その後も、私と姉が新彊に、2人の兄は黒龍江省に逃げました。我々の家族がこんなにも悲しい思いをして逃亡生活を送らなくてはならなかったのは、過去に祖父が商売で人を雇ったことがあったからです。祖父は「人民を搾取した」と断罪され、その子孫である我々もその罪を背負わされ、いわれのない差別、酷いいじめを受けることになったのです。逃げることはその苦しみから解放する唯一、かつ有効な手段でした。 今思えば父は、家族を守るために必死になって努力していました。誰も頼る人も、たいした情報もないのに、5人の子供を連れてあちらこちらを逃げたものです。愛情と汗を注いで築いた家や土地を捨てて、ともかく家族を守るために逃げました