学歴社会のトップに君臨する東京大学。「東大卒」という称号は、この学歴社会における最強の「プラチナチケット」だ。ところが、この切符を手にしていながら、就職活動で内定を取れず、負け続けている東大生がいる。 一体、それはどんな学生なのだろうか。この疑問を、ほかならぬ東大生自身の手で明らかにした著書がある。東大生でつくる東大就職研究所の「内定とれない東大生」(扶桑社新書)だ。 この解明作業は、彼らにとって少なからぬ深刻さをはらんでいる。それは、こういうことだ。 例えば、ある企業への就職活動でほぼ互角に競い、最終面接まで到達した二人がいたとする。 その最終決定でも二人のどちらにするかを企業担当者が迷ったとき、最後はどうなるだろうか。 東大生の場合、この段階で落ちた時に、その理由が「大学」であることは絶対にない。「最後は大学名で決めました」という状況で、絶対に落ちるはずのないのが東大卒なのだ。 それに
◆56歳 ご名代で開会宣言 「ここに、札幌市・帯広市において開催される第8回アジア冬季競技大会の開会を宣言します」。平成29年2月19日、天皇陛下は上皇さまの名代として、札幌市で行われた冬季アジア大会の開会式で開会宣言をされた。 式典には上皇さまへご臨席の願い出があったが、寒冷地であることから上皇さまの年齢も考慮し、陛下が代役を務められた。 上皇さまが譲位の意向をにじませたビデオメッセージを公表された平成28年8月以降、譲位までの間、陛下が名代を務められた唯一の機会となった。 ◆58歳 第1回からご臨席の「国民文化祭」 ご即位後も 天皇陛下は公務の大半を上皇さまから引き継ぐが、即位後に継続される公務がある。国内最大級の文化の祭典「国民文化祭」へのご臨席もその一つ。浩宮時代の陛下が昭和61年の第1回から足を運ばれているもので、陛下のご意向も踏まえて宮内庁が継続を決めた。 陛下は平成30年10
政界、官僚には東大、京大出身者が多い。ただ、総理大臣は東大16人に対し、京大は2人。この違いは何なのか? 東大と京大の実力を比べてみた。 日本で最初の「東大出」の総理大臣は、24代の加藤高明(法)だ。名古屋藩の下級武士の子として生まれ、法学部を首席で卒業し、三菱会社、外務省を経て首相になった。初代の総理は伊藤博文だが、伊藤を含め23代までの総理は、海軍大学校を出た加藤友三郎を除いて大卒ではなく、私塾や藩校などで学んだ人々だった。 加藤高明以降、東大は続々と総理を輩出していく。現在までに16人。これに対し、京大の総理は2人だ。 なぜ、東大出身の総理大臣が圧倒的に多いのだろうか。『東京大学エリート養成機関の盛衰』などの著書がある橘木俊詔(たちばなき・としあき)同志社大学経済学部特別客員教授は、こう解説する。 「東大は官僚養成学校として創設されたため、高級官僚をほぼ独占的に輩出してきました。官僚
2016年のノーベル生理学・医学賞に東京工業大学の大隅良典栄誉教授の受賞が決まった。大隅教授は東京大学出身。ノーベル受賞者の出身大学別で東大は8人となり、ライバルの京都大学の6人を突き放した。しかし、東大時代の研究の成果でノーベル賞を受賞した人は意外と少ないとの指摘もある。 「東京大学に残っていたら、ここまで研究は広がらなかった」。日本経済新聞社のインタビューに大隅氏はこう語った。「東大が悪かったわけではないが、本当に全てのことをひとりでやらないといけなかった」として、1996年に東大助教授から岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所(当時)に移籍。同研究所で他の教授との交流が「研究生活の大きな転機だったと思う」と大隅氏は振り返る。 東大よりも米研究機関で成果自然科学分野のノーベル賞を東大出身で受賞したのは、米国籍となった南部陽一郎氏を含めると5人だ。しかし、1973年に受賞した江崎玲於奈氏は
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