ブックマーク / kikuutan.hatenablog.com (1)

  • 人は呼吸するために生きているのではない、では何のために。 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【出世懐(4)】 ■「なぜ生きるの?」 「生きるためだよ」 「生きるために生きてるの?」 「そうだよ。文句あるか」 こんな掛け合いを何度か経験しましたが 文句大有りです。 ■「何のために勉強しているんですか」 と聞かれて、 「希望の大学に合格するためです」 という答えなら理解できますが、 「勉強するために勉強しています」 では、ナンセンス、意味不明です。 ■「なぜダンス教室に通っているの」 と尋ねて、 「あのステキな先生と踊れるから」 なら分かりますが、 「通うために、通っている」 では、トートロジー(同意語反復)で、 何も言ってないのと同じです。 ■「生きるために生きる」のは、 ちょっと考えれば、 言葉の意味からもおかしいと分かるでしょう。 歩いている人も、どこかへいくために歩いています。 あるいは気分転換に散歩、運動のためというのもあるでしょうが、 少なくとも「歩くために歩いている」

    人は呼吸するために生きているのではない、では何のために。 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 1