ブックマーク / perch8mob.hatenablog.com (1)

  • 2019年2月17日の記録 - 真鍮の止まり木

    たまに、家族から受けた言葉を思い出すことがある。大体いつも、精神状態が不安定になったとき、彼女・彼らから言われた内容を思い出す。 あれらは、「呪いの言葉」だったのだと、今ならわかるのに。あれらはすべて、私を「普通の人」に矯正するための言葉だった。ただそれだけだったのに。 「望ましい妹」という姿であれ、という圧が常にあった。つまり、愛嬌があって、容姿も可愛くて、適度に馬鹿で、適度に抜けていて、でもちゃんと言うことは聞いて、甘え上手で、いつまでも「上手く」生きられないような、そういう妹になって欲しかったのだろう。「ぼーっとしている」「人の話を全然聞かない」「周りをよく見ていない」とよく言われていた。「貴方は父親そっくりね」と言われた。うちで「父親」に似ているという烙印を押されることは、「ろくでなし」「どうしようもないヤツ」を意味していた。 当に、今ならすべての言葉を一笑に付すことができるのに

    2019年2月17日の記録 - 真鍮の止まり木
    jugame
    jugame 2019/03/21
    読みやすい素敵なブログで面白かったです!ブクマさせていただきました!
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