よくよく自分の心に照らし合わせて考えてみると、私自身の不安は、たとえば宮台真司氏が唱えるような「過剰流動性による不安」にあるのではない。むしろ、流動性と言われているのに流動的ではないところに不安がある*1。つまり「硬直性」の不安だ*2。 これに対し、「歩行と記憶*3」ではもっと「過剰流動性」を進めるべきと述べていて、それはおそらく正しい。しかし、kuriyamakouji氏は「過剰流動性」のために、「自営」か「自営と変わらない働き」をしたほうがいいという。これは物事の半面しか見ていないのではないか*4。 「過剰流動性」よりも「硬直性」に不安を抱く私にとって、自営をしても不安は解消されない。自営に失敗して、別の道に進もうとしても「硬直性」のある社会では、その変化が難しい。過剰に流動的であるのなら、おそらく自営から会社員、さらに自営へと次々に移動できるはずだが、おそらく事はそう簡単にいかないの