恋人と別れて30年が過ぎ、その元恋人の娘と出逢う夜 古い友人であるShellyからメッセージが届いた。「私の娘のAdrienneが日本に行くのだけれど、時間取って彼女と会ってくれるかしら?」 Shellyはアメリカ在住の白人女性だ。Shellyと俺との関わり合いは、過去に書いた。こちらを参照のこと。25歳に戻れた夜~ブライアン・…
うちの塾の生徒の一人に、とても可愛くて、しっかり者で、明るくて、誰よりもキッチリと宿題をこなして、誰よりも理解力があり、たいへんに学習に対して積極的で真面目な、6年生の女生徒がいる。塾で学習を開始したのが他の生徒に比べ遅かったので、同じクラスの生徒に比べ現時点で必ずしも成績が目立つわけではないが、あの知識吸収力と努力から、うちのクラスでは最終的にはトップになるだろうことは担当一同が認めるところである。 彼女には妹がいて、妹の送迎も彼女が行なっている。 父母は受験に不熱心というか無関心で、彼女自身に任せ切りにしている。まあ、そのこと自体はいい。 続きを読む 「プチエンジェル事件」(渋谷赤坂女児監禁事件)の女児が「死んだ」というデマがけっこうしつこく2chに流れていて、いったい誰がそのデマを流しているんだろう、と思ったが、デマの元は「サイバッチ」だったようだ。 http://www.mailu
ようやくパソコンが復帰したと思ったら、ネット接続の調子がいまひとつでちょっと萎えております。そのためリンクとかもしにくくてめんどうなので省きます。 さて、例のフェミ系の本が撤去された話ですが、やっぱりこれも公共性の問題なのかなと思います。成城トランスカレッジのchikiさんもちらっと言及しておられますが、日本社会における公共性についてはもう少し突き詰めてみる必要があるだろうな、というのが大塚英志の影響を受けて最近考えるところです。 この間読んだ広田照幸の『《愛国心》のゆくえ』でも触れられていましたが、戦後の日本はアメリカ占領下、また東西冷戦構造における西側陣営という国際的にはかなり限定的である意味「安定」したポジションの中で、国内政治における類型的対立に終始した言説環境が作られてきました。右翼も左翼も、一国主義的に閉じた枠組みの中に安住し、他者(たとえば在日韓国・挑戦人の人たち)と対話する
よくよく自分の心に照らし合わせて考えてみると、私自身の不安は、たとえば宮台真司氏が唱えるような「過剰流動性による不安」にあるのではない。むしろ、流動性と言われているのに流動的ではないところに不安がある*1。つまり「硬直性」の不安だ*2。 これに対し、「歩行と記憶*3」ではもっと「過剰流動性」を進めるべきと述べていて、それはおそらく正しい。しかし、kuriyamakouji氏は「過剰流動性」のために、「自営」か「自営と変わらない働き」をしたほうがいいという。これは物事の半面しか見ていないのではないか*4。 「過剰流動性」よりも「硬直性」に不安を抱く私にとって、自営をしても不安は解消されない。自営に失敗して、別の道に進もうとしても「硬直性」のある社会では、その変化が難しい。過剰に流動的であるのなら、おそらく自営から会社員、さらに自営へと次々に移動できるはずだが、おそらく事はそう簡単にいかないの
それでも、フジロックの話‐=【The Perfect Kiss】Welcome To Madchester 遅レスもいいところだが、もう一週間経ってそろそろみんなお熱も冷めてると思うからここらでフジロックを強烈にDISっとく。 まず、id:republic1963さんの意見はまあ、それこそ初開催時からあった話だし、別段珍しくはない。ただちょっと安易だと思うのが、「政治的なパフォーマンス」そのものを問題視している点。それを否定したらフジに出ているアーティストの大半は「卑怯」だってことになる。問題点はそこじゃない。「政治的」な話を「つまならく」話すこと。話す相手が今何を求めているかを考えず、徹底した「自分の正しさ」のみをベースに話をすること。観客やその場に対する一切のリスペクトが無いこと。その思想自体が更新されていないこと。要するに、典型的な「頭でっかちなブサヨク」そのものの問題だってことだ。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く