なんで作者が死んでからカウントが始まるんだろ。 あと名誉とか人格権は生きている間は発表後x0年を超えても保持できるとかでもいいんじゃね。
誰にお気に入られようが、誰をお気に入りにしようが、そんなことはファンとか自尊心とは直接関係ない結果論な気がするけど。 ソーシャルブックマークは「ユーザーがまず自分のために使うと便利」というのが第一に有って。それをtagとかで公開し合うと情報流通が促進されて便利だよね。というのが第二に来る。 「お気に入られ数が多い」なんてのは、GIGAZINE並みに薄くて大多数に受けるネタばかり扱っているのと意味としては同じなんだから、その人の価値観によっては悲しむべき状態かもしれんな。(まぁテレビに出ていたり単著を出していたり(!?)言動が悪目立ちしていて知名度があると、おのずと内容ではなく人物をきっかけとしてお気に入られするから、単純に数だけで比較する事は意味が無い気もするが) んでだ。人間は一次元の判断軸が大好きだからお気に入られ数が「多い・少ない」ってのを自尊心にしやすいのかもしれない。 マイミク一
罵倒コメントを貰いたくないのならブログなど書くな - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園 そして、私は罵倒コメントを否定はしない。したければすればいいという考えだ。どの様なコメントを貰ったとしても、私は耐えるよ。どちらがどうであるかという判定はそれを見ている者が決めればいい事だ。私は読んだ物に対しての素直な感想をただ綴るだけだからな。だから、私の書いたもので「酷い」と思ったのなら、それを素直に書いて貰っても良い。極端な話、そういう態度が全てのブロガーには必要なのではないかとまでも思っている。 2chスレでもコメント欄でも、ごく数人のアンチが工夫をする事によって何十人もの反対派が居るかのように工作する事は難しい事ではない。それに人間は判断を視覚に頼りすぎている面が有る。ブラウザを使っている時に0クリックもしくは1クリックで見えてしまう場所に罵倒文が見えると、古い時代の感覚によって感情が揺さぶられるというア
プロパガンダとしても創作の作劇手法としても「悲惨な死に様」を描写するのは、簡単に人の心を動かす事が出来るテクニックなんだから。 「こんな風に死んでしまいます」と扇情的に書かれたblog記事を鵜呑みにするのは「私はお気の毒な人ですよ。頭脳の判断力が」と首から札下げて街を歩いているようなもんなので、天然でやっているとしたら考え直した方が良いと思う。 もしそんな記事を見かけたら、「その悲惨な死を回避したせいで、他の悲惨な死が起こる事に成らないか?」とカウンターで考えてみるのをオススメしたい。 例えば「死刑執行はこんな風に実行されますよ(だから死刑制度反対)」という記事をみたら「その死刑囚が逮捕前に起こした犯行では、犠牲者はどんな死に方をしたんだ?」とか。(ということは、別に死刑制度には反対していないが、単に死刑執行のグロさをトリビアとして伝えたいだけの記事は別に素直に読めば良いという事。ただ「善
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