その頃私は浪速大のウェブサイトを見ていて、ムラヴィンスキーの新しいロシヤ人の学生というのは、これではないか、と目星をつけたのがいた。それは文学部のほうの大学院生だったが、専門がムラヴィンスキーに近いので、そう思ったのだ。そこで私は、自分のブログにそのサイトをリンクして、ムラヴィンスキーの愛人はたぶんこれだ、と書いた。 すると二、三日して、ウェブサイトのほうにメールが来た。それは大村壱岐子という、やはり浪速大のあの大学院の院生で、先生、あの人は違うんじゃないでしょうか、週刊誌にも学生とあったし、と言ってあった。私は直メでこの大村壱岐子とやりとりしたが、壱岐子は牧冬子のことも知っていて、あの事件はレイプではないと思う、と言っていた。 私はブログのリンクは削除して、牧冬子に、壱岐子から便りがあったことを告げた。牧は、「大村壱岐子…あいつの旦那は日立智久といってムラヴィンスキー緑川の弟子だから、あ