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2017年8月2日のブックマーク (3件)

  • 「ちがう意見=敵」と思ってしまう日本人には、議論をする技術が必要だ。

    よく、「日人は議論が苦手だ」と言われる。理由としては、協調を重んじる気質や自分の意見を言うのが苦手な日人の国民性が挙げられることが多い。だが、それだけではない。日人は、議論を通じて「対話」するのが苦手なのではないかと思う。 そう考えるようになったのは、Twitterで自分の記事に対する反応を見ていたときだ。記事への反応はさまざまで、賛同するものも反論するものもある。 だが不思議なのが、賛同意見は「共感した」「その通り」といったコメントが多いのに比べ、反論意見の場合「まぁこの人は○○だから」「どうせ××したことないんだろ」と人格への言及がほとんどセットになっていることだ。 反論意見は多くの場合、こういった人格への攻撃が伴う。 わたしへの反応だけではなく、他の人への反論コメントも似たようなものだ。 「ちがう意見=敵」と思ってしまうことが、「日人は議論ができない」と言われる原因のひとつで

    「ちがう意見=敵」と思ってしまう日本人には、議論をする技術が必要だ。
  • 「背中を見ろ」ではなく、「経験を理屈に変換して部下に教える」までが、上司の役割。

    「名選手、名監督にあらず」という言葉がある。 この言葉、随所で出会うので、経験的には正しいように感じるのだが、なぜ名選手が名監督になりえないのかを、きちんと説明することは結構難しい。 ***** 昔、ある会社の営業部の立て直しを手伝っていたときのことだ。 その会社は、総勢40名程度の営業部で、部長が1名、課長が5名の体制だった。 私はその会社の経営者から 「うちの部長課長は、営業をやらせたら一級品なのだが……問題がある」と相談を受け、その会社に常駐していた。 「何が問題なのですか?」と聞くと、経営者は 「うちの管理職は皆、営業の腕前は一級品なのだけれど、部下に教えることがヘタで、下がなかなか育たない」という。 話を詳しく聞くと、営業部員たちは 「上が教えてくれない」「どうやって営業したら良いかわからない」という不満を持っているらしい。 逆に部課長たちは 「営業は教わるものではなく、盗むもの

    「背中を見ろ」ではなく、「経験を理屈に変換して部下に教える」までが、上司の役割。
  • 「自分が苦労していたんだから他人にも同じ苦労させたい症候群」にどう立ち向かうべきなのか

    タイトル長すぎると思ったんですが、「自分が苦労していたんだから他人にも同じ苦労させたい症候群」ってなんか適切な呼び方あるんでしょうか。 軽くぐぐったんですが、うまい略称が見当たりませんでした。どなたか、適切な略称をご存知でしたら教えてください。 まあ、字面から言わんとしているところは了解していただけると思います。 例えばPTAとか。例えば町内会とか。例えばマンションの自治会とか。 もしかすると企業や学校でもそうなのかも知れませんが、「ある程度長く続いていて、硬直化した組織」では、しばしば下記のような状態が見受けられることがあります。 ・どう考えても不要かつ無駄な作業が、何故か改善・撤廃されない ・改善しようとすると、そこに長くいた人から何故かよく分からない抵抗や圧力がかかり、改善することが出来ない ・現在の作業者も全員無駄な苦労だということを認識しているが、嫌々その作業を継続している ・

    「自分が苦労していたんだから他人にも同じ苦労させたい症候群」にどう立ち向かうべきなのか