![休校中に授業動画500本作った公立中の“奇跡”、新卒から60代まで全教員の「学びの空白を作らない」戦い 「休校を失われた期間にしてはならない」](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/4be03c3b3a83accd2e29ac5ed30dc5542b225d24/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Finternet.watch.impress.co.jp%2Fimg%2Fiw%2Flist%2F1265%2F043%2Frss.jpg)
リモート前提の働き方になったGMOペパボのオフィス(写真提供:GMOペパボ) Twitterを見ていたらある投稿に目が止まった。投稿主はGMOペパボ(以下、ペパボ)の代表取締役、佐藤健太郎さんだ。なにやら地元に戻った元社員の方の再雇用が決まったようなお話で、さらに言えば、今のコロナ禍でGMOインターネットグループはいち早く働き方の改革を進めている。 どういうことが起こっているのだろうか? 新しい採用基準になったことで卒業した仲間が再びジョインしてくれました。一緒に最高のサービスを提供して、インターネットと鹿児島を盛り上げていきましょう!! https://t.co/8bIzzyMSDL — 佐藤健太郎 (@kentarow) July 13, 2020 ということで、早速健太郎さんにチャットで経緯を聞いてみた。 ーーTwitter拝見しました。現在、GMOインターネットグループは全体として
いろんな業界がコロナで大変だと増田で悲鳴が上がってきているけど、ウチも中々に大変なんで書いてみる。 当方しがないケータリング業者。会社の歓送迎会やレセプションパーティなんかを中心にやっていたんだけど、2月から売上がゼロ。年始の時には定期のお客さん含めて6月くらいまで毎月10本弱の予約入ってたんだけどオールキャンセル。その後の新規もゼロ。どっかのホテル業界が90%減少って言ってたけどウチは100%減少。 3月ぐらいの時は正直、秋くらいには落ち着くかなと思っていた。自社サイトリニューアルしたり、調理場の改装したり、(お金にならないけど)営業がてら個人宅向けの出張ケータリングしたり、慣れないYoutubeなんかも配信したりもして「コロナは仕込みの時期!」ってやってたんだけど、もう無理。 今年の仕事はおそらくゼロ。来年もこの調子だとワクチンや重症化予防薬できるまでゼロ。多分、この仕事自体が数年間は
前職から転職して1ヶ月がすぎたので、現時点での個人の感想を記しておく。 以下に該当するような人にはひょっとしたら役立つかもしれない。 30代だけどプログラマーに転職したい。 自社開発企業に転職したい。 プログラミングスクールに通うべきか迷っている。 未経験から転職してついていけるか不安。 前職は何をしていたか 前提として、前職のことについて簡単に書いておく。 前職は中学の教員だった。 専任教員だったので、担任も持っていたし、生徒指導もしていたし、部活動も担当していた。 そう書くとブラックなイメージがあるかもしれないが、私立進学校だったのでそれほどハードでもなかった。 生徒は荒れているどころかおとなしすぎるくらいだし、部活も18時までには終わっていた。 朝は8時からなので早いが、それでも頑張れば9時間労働で帰ることもできた。*1 夏休みは1ヶ月以上あったし(ただし部活動や夏季講習で3分の2は
Almanacウェブサイト プログラミングをせずとも、ウェブもしくはモバイルアプリを直感的に構築できるノーコードサービス分野が成長してきました。「Bubble」や「AppGyver」のようなアプリ開発、日本の「STUDIO」や「Strikingly」に代表されるLP開発など、領域は様々です。ノーコードの本質は、時間やコストを圧倒的に削減することにあります。そして今、ノーコードトレンドの考えが新たな体験として企業で広く使われるドキュメント作成分野にも広がりつつあります。 「Almanac」は、ビジネスドキュメントテンプレートのクラウドライブラリを提供。マーケティング、人事、法務テンプレートなど、専門家によって公開された、磨き上げられた1万件の文書を提供しています。各資料をコピペすれば、ユーザーは手軽にプロのドキュメント内容をトレースできます。UIはノートツール「Notion」にとても似ていま
この話はフィクションで、俺もこんな職場も存在しないし、出てくる人たちも存在しなくて、これを読んでる君もどこにもいないです。 今から5、6年ほど前に、俺はとある大型事務センターで派遣社員をしていた。 就職できなかったというより、仕事が出来ない無能な上に人中りして人間関係が酷く疲れる気質なので、新卒を短期間で蹴って逃げた俺は正社員として働きたくなかった。あんな思いをしながら生きるぐらいなら、いっその事死んだ方がマシだと真剣に思えた。phaや中島義道や斎藤環の本を布団の中でずっと読んでる様な、そんな時期だった。こんな社会不適合者にとって、ひたすらキーバンチャ―をするだけの派遣社員のこの仕事はまさに天職で、社会に出てからはじめて「俺は生きてても良いんだ。」と思えた。仕事帰りに出かける精神的余裕ができたのもこの時期だったと思う。社会不適合者にとって社会は厳しいけれども、俺でも受け入れてくれるぐらいに
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