「ハイエースしたい」を単なる冗談なのにって思う言語センスは、性差とか性尊重とかフェミニストvsオタクとかそういう話じゃなくて、「アスペ」「ガイジ」をカジュアルに使ったり、「死ね」を挨拶がわりに使ったりする感覚と地続きだと思ってる。性教育じゃなく品格教育の範囲の話。
![まつりさんのツイート: "「ハイエースしたい」を単なる冗談なのにって思う言語センスは、性差とか性尊重とかフェミニストvsオタクとかそういう話じゃなくて、「アスペ」「ガイジ」をカジュアルに使ったり、「死ね」を挨拶がわりに使ったりする感覚と地続きだと思ってる。性教育じゃなく品格教育の範囲の話。"](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/36161785b103aa8f87f323d05b6fd6d1b16906da/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpbs.twimg.com%2Fprofile_images%2F1593661817662107649%2FNd5dtOtZ.jpg)
「罪を憎んで人を憎まず」は人類には難易度が高すぎるお題目なので、私はこういうお題目を提案したいと思います。 私は主張内容が違う人はたいして嫌いではありませんが、たとえ自分とおなじ主張をしていたとしても「主張の方法」が悪質な人が大変嫌いです。 最近も、キズナアイに対する不当な批判に対して反対しているという点では同じ立場ではあっても、他人に安易にレッテルを貼って他人を貶めようとする人たちがいたので、そういうのはやめましょう、とこのブログ上で批判しています。*1 繰り返しますが、私は主張内容が違うだけならそれほど嫌いではないです。一方で主張の「手法」が卑劣だったりすると、そういうことをする人のことは嫌いになります。主張内容が私と同じでも手法が問題ある人は嫌いです。 「批判したい対象があったときに、極端に悪い例を挙げて、対象がその極端な悪い例と同じ側だと印象付けようとする詭弁」について ところで、
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く