神奈川県横浜市生まれ。5歳で岐阜県高山市に移る。ディズニー、フライシャーといった短編アニメや杉浦茂、手塚治虫などの漫画作品、貸本劇画などに没頭する少年時代を過ごす。 1959年に岐阜県立斐太高等学校卒業。様々な職業に就いた後に、1960年に劇画短編誌『街』(セントラル文庫)に『雨の白い平行線』『暗い静かな夜』が掲載されて貸本漫画家デビュー。だが、漫画家を続ける意思を持てず[1]1963年に虫プロダクションに入社、『佐武と市捕物控』などのTVアニメーションの演出に携わる。また、COMの漫画投稿コーナー「ぐら・こん」において、峠あかね名義でCOM専属の漫画評論家としても活動した。 1967年、『コミックmagazine』(芳文社)に『連作/錆びついた命/何もいわない三部作』を発表。1969年、虫プロを退職し、青年劇画誌が多数創刊される中ふたたび漫画家として活動を始める。1976年頃までは「真崎