http://anond.hatelabo.jp/20091010002215 http://d.hatena.ne.jp/terracao/20091011/8255893550 やはり「よろしかったでしょうか」と言われるとむかつく。 日本語の「た」の問題については、数年前にフランス・ドルヌ+小林康夫夫妻の『日本語の森を歩いて』を援用しながら、採り上げたことがある*1。ドルヌ+小林夫妻によれば、「た」は他のありようがありえないような確定性、排他的な断定性を表す。「退いた、退いた」という命令について、 一般には命令は、命令を発する人がいて、それを受ける人がいる。受ける人は、ある意味では命令する人に従属しているわけですが、しかしそれでもまだ「否」と言う可能性を持っています。命令には従わないこともできます。命令される人は、自分の主体性を確保しています。 ところが「退いた、退いた」の場合は、形か