イネ科の植物の果実である穎果は小粒で、1つ1つが籾に包まれ、さらに加熱加工しにくい果皮が包み、これらの除去を大量に行う必要がある。このため、食用とするには技術と手間がかかる。これは穀物を杵などで叩く(「搗(つ)く」という)ことで除くことができる。人類史上、このような加工の初期段階では、コメにおいてもおそらく他のイネ科の穀類と同様に粉状にし、水とともに練ってそのまま食したと考えられる[4]。やがてコメの煮炊きが始まり、さらにコメは小麦や大麦などよりも吸水性がよいことから粒食が発達することになるが、原始の形のコメの食法は神饌として残り、日本ではこれを「粢(しとぎ)」と言った[4]。 日本語の「モチ」は平安時代中期に成立した『和名類聚抄』に「毛知比(もちい)」とあり、時代が下って江戸時代の『本朝食鑑』には「餅 毛知(もち)と訓む 昔は毛知比と訓んだ」とあり、遅くとも『本朝食鑑』の成立した17世紀