2017 - 07 - 21 打って、響く。 文学を笠に着て長らく立て篭もりつづけた精神を開け放つには、示唆的表現の内包する痛々しさに一度目を向ける必要がある。愛だ執着だ生だ死だの、そんなことを語るより先にごはんをたべてよくねむる。 だからといって、振り返り浮かぶその恥についてわたしは気兼ねしない。ある種のトランスが相手にとり非常に奇妙な悲劇或いは喜劇をみせていたとしても、わたしはその馬鹿馬鹿しさまで受けとめる。 だれになんと言われようとも、精神の在り方によってひとは変わる。どれだけ自分事とし人生を全うできたかにより結果が変わる。だからわたしは譲らない。 「甘えんな。」 感情をそのまま相手にぶつけるのはとてもひさしぶりだった。夜中あれほど彼について悩み、考え、理性でひと間、その特性におもいを巡らせ放ったことばとはいえ、わたしにとりそれはかなり大きな懸けだった。 相手が拒絶したら基
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