ブログを書いてる最中は、気になる数行を頭に入れてから、席を立つようにしてる。 お風呂掃除とかトイレ掃除とか、日常の雑務をこなしていると、その数行が蒸してきたり、逆にサッパリ抜け落ちたりして、自動的に選別される。 偶然の働きに身をゆだねて、理性を退避させたところに、「水が満ちてくるように」何かがやってくるのを待つ。 そんな風に、「待たないようにして待つ」ということを少しずつ人生の一部に入れられたらいいなと思う。 創造的な作品づくりには、そういう「ゆるみ」が必要だと言うので、いい文書を書くときにも、前のめりにならずにゆるく待つのは有効だと思う。 でも最近はそれだけでなくて、もっと予測不可能的に待ちたいと思い始めてきた。 何かを待っているのに、何を待っているのかわからないという狂人じみた不合理が、人生に大切な気がする。 「すばらしい日だな。こんなに何もなくて、こんなにすばらしい日は、一生のうちに