ヒロシマ平和公園の四季「ヒロシマのこころ」とは、報復の連鎖を断ち切ること。 広島平和公園の碑めぐりのガイドをしている"たっちゃん"が、 平和公園の四季を通じて「ヒロシマのこころ」を届けます。 広島城公園内の被爆建物「旧司令部通信室」前でお会いした岡ヨシエさんの手記をアップします。その場にいた東京の私立中学校の生徒さんにお届けします。 「交換台と共に」 岡(旧姓大倉)ヨシエ 昭和20年8月6日。 忘れることの出来ない日である。 私はその朝、前夜から勤務していたので、中国軍管区で朝をむかえた。 昨夜はいつになく多かった敵機の侵入のため、一寸ぼけた頭で朝食を済ませ、真っ青に晴れ上がった空をあおぎながら元気をとりもどして、交替迄の勤務に壕に入った。 今日は何時もよりおそい交替だなあと心の中で思って居る中に、8時頃より敵機の侵入である。そしてすぐ去る。 “空襲警報解除” ほっとする気持も束の間、又敵
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