バッファ理論からの流れ 以前、バッファ理論で抽象的なことを書いたのは、この記事を書きたかったからである。 これまで知的生産の技術で書かれたものにおいて、誤っていることが二つある。 データに区分は必要ない。データベースのようにためるだけでいい PCの場合、メモのノイズを減らすにはGrepで十分である。 前者はカードを用いる梅棹忠夫の発想であり、後者は野口悠紀雄の発想である。 そもそもカードはいかにして編集、コピーという発想をまとめる際に必要になる手間を減らすかを追求したものであり、今となってはアウトオブデートである。この手間はPCでカバーできるからだ。また、カードをくることで発想するというのも間違っており、PoICのように意識的にまとめ上げる作業を入れた方が完成型に近いと思う。野口のほうは、アイデアメモの集まったものをデータベースとして扱うミスを引き継いでおり、また単純にGrepを過大評価し
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