太平洋戦争の終結を知らないまま、30年近くフィリピンのジャングルに潜伏を続けた旧日本陸軍の元少尉、小野田寛郎さん。1974年、小野田さんが日本に帰国したときは、日本中が沸き立ちました。 小野田さんの帰国を巡って、日本とフィリピン政府との間で極秘の交渉が行われていたことが、外交文書から新たに分かりました。さらに、この交渉を経てフィリピン側に支払われた3億円の資金を巡って知られざる事実が浮かび上がってきました。(国際放送局 照井隆文記者、広島放送局 関根尚哉記者) 残留日本兵 小野田寛郎さん 7月23日、日本とフィリピンは、国交正常化から60年を迎えました。太平洋戦争末期、最も過酷な戦場の1つとなったフィリピン。日本人50万人余りが死亡、100万人を超すフィリピン人が犠牲になったと言われています。 当時22歳だった小野田寛郎少尉は戦争が終わったことを信じず、3人の仲間とともに、フィリピンのジ
相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が刺殺された事件で、殺人未遂容疑で逮捕された元職員、植松聖容疑者(26)が襲撃の際、少なくとも2人の職員を縛って身動きを取れなくした上で、入所者を相次いで刺していたことが27日、捜査関係者への取材で分かった。複数の刃物や結束バンドはあらかじめ準備しており、「後悔していない」とも供述。神奈川県警津久井署捜査本部は、強い殺意に基づく計画的な犯行とみて動機の解明を急ぐ。 捜査本部は同日午前7時半ごろ植松容疑者を送検。警察車両に乗り込む際はジャケットを頭からかぶり、表情はうかがえなかった。捜査本部は今後、遺体を司法解剖して死因を調べるほか、植松容疑者の自宅などを家宅捜索する。 捜査関係者によると、植松容疑者は施設東棟の東側窓ガラスをハンマーで割って侵入。鉢合わせとなった職員少なくとも2人を結束バンドで縛ったうえで、一カ所に集めて抵抗しな
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く