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2009年6月15日のブックマーク (1件)

  • 欲望が問われるとき - 地を這う難破船

    ⇒リベラリズムと他者危害(追記アリ - 地下生活者の手遊び 流石と思ったけど――やはり私の見解とはこの点で決定的に相違する。 問題の深刻さや被害者の心情を知って、そのうえでなお表現したいことがあるのなら(そういう表現者もとうぜんいるでしょう)、陵辱をテーマとした作品を作ればいいのです。 たとえ表現の自由に紐が付こうと、表現には紐が付かない。私はそう考える。Chim↑Pomのときも書いたけれど、原則論として、表現したい人は勝手に表現するのであって、その表現を社会的な文脈に位置付けるのは他者。「問題の深刻さや被害者の心情を知って、そのうえでなお表現したいことがあるのなら」などという紐は、およそあらゆる表現に対して付いてはならない。だから、雉と射手の存在を同時に肯定してなお事態を収拾する法の執行について述べた。 Chim↑Pomと陵辱エロゲの相違点は、現代アートと商業ということで、だから市場の性

    欲望が問われるとき - 地を這う難破船
    kadotanimitsuru
    kadotanimitsuru 2009/06/15
    はあらゆる方向に自由であるべきで、それを社会的に位置づけるのは批評家の側の役目だよね。倫理道徳の道具にしたいならその数多の表現の中から恣意的に摘み上げ利用すればいいんであって表現者を縛っても不毛